昨日、少し前置きしたのですが、大学1年の時の手帳が思いがけず出てきました。
ずっと同じ引き出しに入れてあったのですが、結婚してからの手帳だとばかり思っていたら何と1972年度の手帳です。
今から何と46年前なんですね。
私は高校時代から日記をつえていたのですが、結婚前にすべて燃やしてしまい、昔の記録は残ってないのでこれは貴重かも。。。
例えば、これは1972年の12月10日~12日にかけて2期上の女性の先輩と二人で雲取山に登った時に持っていくもののメモです。
チョコレートは今も普通に持っていきますが、そういえば昔はみりん干しをときどき持っていきました。
たぶん朝ご飯のおかずなんですね。ラジオと天気図用紙というのは時代を感じますね。
地図は三峰と丹波の5万図。
今は天気予報が正確だしスマホで見られるので自分で天気図を作成して天気を予想するなんてことはほとんどの人がしないでしょう。
この時は12月なのでさすがにテント泊は無理ということで、雲取の山小屋に(無人)に泊まったのですが、他には誰もいなかったような記憶があります。日本酒を飲みながいろいろな話をして、その時の話は今も記憶に残っています。
こちらは1973年2月28日~3月4日に北八ツで行われた春合宿のメモ。
用意するものに輪カンとアイゼンバンドとあります。当時のワカンは木製のワカンでバンドはついてなくて、靴に輪カンを装着するためにアイゼンバンドが必要でした。アイゼンもまたアイゼンバンドで靴に装着したのです。
概念図を書いてますが、蓼科山を漢字で書けなかったんですね(^_^;
この時は白駒池ほとりの青苔荘を借り切って3泊4日で雪上訓練など。雪洞を作ったりしました。
3泊中2泊は小屋で寝たので大丈夫でしたが、1泊は雪の上にテントを張って寝ました。これが死にそうなほど寒くてほとんど寝られず・・・それもそのはず、羽毛の洋服やシュラフなんて持ってなかったのですから。。。
この地図を見ると蓼科山以外は全部縦走しているようで、初めてそのことに気づきました。
↑1972年6月9日に一年生強化山行で南八つに行った時のコースタイムを手帳に記録していました。
前夜に新宿発23時57分というとざんしゃ御用達の鈍行があって、これで小淵沢へ。
早朝に小海線に乗り換え、甲斐大泉の駅で降り、そのまま山に向けて歩き始めました。
大学に入って二度目の山行でしたが、1度目の山行で懲りて絶対にこんな同好会は止めてやろうと思っていたのに、この時の南八つが快調で山にはまってしまいました。
若かったので、その日の14時に一気にキレットまで登ってますね。