keitann様 こんにちは アカモノ詣でのその意味がわかるような可愛い花ですね。 こうして読んでいても、植生が豊かに残されていることに嬉しさと羨ましさが募ります。 三河では最近ギンランをトンと見かけなくなりましたが、さすがにkeitann様ですね。 素晴らしい株に出会われて見えます。 ダイヤモンド水と言う名前をつけた方の気持ちが解かるような気がしますね。 昔なら「金明水」か「金剛水」だったでしょうが、現代ではダイヤモンド水のほうが手っ取り早いですね。 小生は使ったことのない動詞ですが、山行中の行動で休憩することをを「一本取る」と言って見えましたか。 語源的には「一本入れる」のほうに意味がありそうですが、言葉は揺れますので、どちらもアリなのでしょうね。
ぶちょうほう様、こちらにもコメントをいただきましてありがとうございます。 この銅山越え付近は住友の別子銅山があった山で、精錬のときに出る有毒ガスのために、一時は禿山になったと聞いています。それを植林などで、再び、緑豊かな森に再生したそうです。 もし、銅山が発見されなければ、この付近にはたぶんブナ林が広がっていたと思うのです。私がいつも歩く山に比べると、木々はずっと小さいです。 でも、そのせいかどうか、ギンランなどラン科の植物は多いようですね。 一本取ると言うのは、ほんとは「一本立てる」と言うのが正しい言い方ですね。 由来はこちらに書いてありますので、よろしかったらご覧下さいませ。 http://blog.bk1.jp/review/archives/2008_05.html
コメント:ツガザクラ満開の西赤石山へ、その2、アカモノ
keitann様 こんにちは アカモノ詣でのその意味がわかるような可愛い花ですね。
こうして読んでいても、植生が豊かに残されていることに嬉しさと羨ましさが募ります。
三河では最近ギンランをトンと見かけなくなりましたが、さすがにkeitann様ですね。
素晴らしい株に出会われて見えます。
ダイヤモンド水と言う名前をつけた方の気持ちが解かるような気がしますね。
昔なら「金明水」か「金剛水」だったでしょうが、現代ではダイヤモンド水のほうが手っ取り早いですね。
小生は使ったことのない動詞ですが、山行中の行動で休憩することをを「一本取る」と言って見えましたか。
語源的には「一本入れる」のほうに意味がありそうですが、言葉は揺れますので、どちらもアリなのでしょうね。
ぶちょうほう様、こちらにもコメントをいただきましてありがとうございます。
この銅山越え付近は住友の別子銅山があった山で、精錬のときに出る有毒ガスのために、一時は禿山になったと聞いています。それを植林などで、再び、緑豊かな森に再生したそうです。
もし、銅山が発見されなければ、この付近にはたぶんブナ林が広がっていたと思うのです。私がいつも歩く山に比べると、木々はずっと小さいです。
でも、そのせいかどうか、ギンランなどラン科の植物は多いようですね。
一本取ると言うのは、ほんとは「一本立てる」と言うのが正しい言い方ですね。
由来はこちらに書いてありますので、よろしかったらご覧下さいませ。
http://blog.bk1.jp/review/archives/2008_05.html