コメント:

keitann様 こんにちは
この記事では、掲載引用文の記述に興味が湧き、地図で追いながら文章を解釈していきました。
どのくらい昔のことなのでしょうね。女の人でも物々交換の小豆を背負って山越えして行ったのですね。
肉淵から峨蔵越まで6kmあり、高度差は700m、そして峨蔵越から土居町浦山までは8kmで、高度差1200弱を下ります。
合計距離14kmで高度差合計1900mを荷物担いで歩く場合は、確かに日帰り困難でしょうね。
小豆とお米の交換レートは、小豆側が不利でしょうから、担ぐ小豆もさぞや重かったことでしょう。

また筏津の子供に肉淵の子が「麦飯食い」とからかわれた・・・とありますが、地図の上では筏津のほうが肉淵よりも余程山奥で、僻地なのですね。
銅山景気によって、文明の逆転現象となったのでしょうね。

ところで、娘さんが新居浜に出るのに山越え峠越えして行ったとありますが、約6里の道のりがありました。
そうなると日帰りはもちろん困難ですから、泊りがけで出かけたのでしょうね。
「よく行った」とありますので、どういう(旅行の)形態であったのかそれも興味をそそられました。

ここへ来て、さすがに花の登場密度は少なめになっていますね。

ぶちょうほう様、こんばんは。

山歩きをしていると、〇〇越と言う峠道を良く通りますが、峨蔵越周辺は人家がないにも
関わらず、峨蔵越えへの登山口まで舗装された車道でした。
それに傾斜の緩やかなずいぶんこなれた道だったので、この道は昔から良く歩かれていた
生活道だったのだろうと推測しながら歩きました。
普通はそういった古い道は荒れていくことが多いようですが、峨蔵越の場合はたまたま
二ツ岳登山のための道として歩かれているので、荒れずに残っているのだと思います。
宮尾登美子さんの「天涯の花」にも書かれていますが、昔の人は20キロやそこいらは簡単に
歩いたようですね。
小豆やお米を担いで歩くのに、急な坂道ではとても歩けないでしょうし、歩きやすい道を
作ったものだと感心しました。
筏津というのは肉淵と比べると銅山関係者の家が多かったのだろうと思います。
寒村と言う雰囲気の肉淵と違い、住友の従業員ですから羽振りも良かったのではないでしょうか。
新居浜へ出かけた娘さんはたぶん新居浜に住んでいる親類かどこかに泊りがけで行かれた
のだろうと思います。
愛媛はお隣の県ですし、山登りで別子方面へはしょっちゅう行っていても、その地の歴史
などは調べて見なければわからないことも多いですね。