白洲正子の旧居は「武相荘」という古い農家を改造した建物だそうで、仙台の友人と横浜の友人が、今回選んでくれた行き先です。
白洲正子の名はいろいろな雑誌で見聞きしていた程度で骨董などに造詣が深く、「自伝」がベストセラーになったのは知っていましたが、それまで著書は読んだことはなかったのです。
旅行に出るに際して、たまたま書店で「白洲正子自伝」が目にとまり、これも何かの縁と思い、買って帰り読んでいる途中です。ちょうどこの前、鶴川村に住み始めたというところに差し掛かったばかりです。仕事場に本を忘れてきたので、その先がまだ読めずにいますが・・。
旧白洲邸に着いたのはすでに午後4時近い時間でした。閉館は5時だそうで、一時間ちょっとしか、見学時間がありません。
撮影禁止になっている邸内を見学した後、外に出てから母屋を撮影しました。屋敷は山を背にして南向きに建っているようでした。山は屋敷の北と西に位置しているようで、見学を終えて出てくるころには日はすでに山に隠れ、暮色漂う中、暖かそうな灯りの灯った茅葺屋根の母屋が素敵です。8月に湯布院で訪れた玉の湯と、どこか相通じるところのある建物です。
うちの庭にも比較的大きな渋柿の木が植わっていますが、それよりもまだ大きな柿の木で、これほどの木はちょっと珍しいように感じました。
母屋を東から眺めているわけです。
茅葺屋根というのは、香川ではもうほとんど見ることができませんが、葺き替えは大変な作業だと思います。
建物の壁は漆喰ですが、なぜか琉球朝顔が絡まっていて、まだ花を咲かせていました。琉球朝顔とこの古い家との取り合わせはちょっと違和感を持ちました。白洲さんが琉球朝顔を咲かせていたとは思えません。
農家の庭先には石畳はあまり見ないです。
庭に続く山にはうっそうとした大木がたくさん生えていました。西日が遮られるので、夏などもかなり涼しそうです。
庭の一部は仕切られていて植えこみになっていていますが、ミズヒキ、ゲンノショウコなどが見えました。うちの中庭も相当野放し状態ですが、うちの庭よりももっと荒れたお庭です。これは意図的にそうしているのでしょうか。それともそこまで手が回らないのでしょうか・・。
家の造りは典型的な田の字造りで、画像奥の部分は昔は牛小屋だったところをタイル張りにしてリビングにしてあるということです。
邸内は撮影禁止でしたが、白洲さんが使っていた器類、着物、家具などがそのままに展示されています。
書斎は山に向かって小さな明かりとりの窓が開いた部屋で、三方が書棚になっていて、書籍がぎっしりと並んでいました。
家の大きさとしては、私の父方の祖母の家と同じぐらいで、幼いころは富士山麓の広大な別荘で過ごしたという白洲さんの家としてはずいぶん質素な感じを受けます。
また、邸内では養蚕が行われていたそうで、祖母の家も昔は屋根裏で解雇を飼っていたそうなので、どことなく親しみを持ちました。しかし、祖母の家は牛小屋やお風呂、堆肥小屋、納屋などはすべて別棟になっていましたが・・。
古い器は仙台から来たYさんや私も、いくらかは興味がないわけでもないですが、今は私の趣味の大半は山や花を育てることに移っていて、器についてはまた気が向いたらここにも記そうと思います。
石仏の上に覆いかぶさる木はシロヤマブキ・・。
シロヤマブキは我が家の畑にも植えていて、実が落ちるままに、今では幼木が30株以上にもなっています。
自分の庭に植えているのと同じ花や木を見つけると、なぜか嬉しくなるものですね。
柿の老木の向こう側に建っている二階建ての家は、喫茶店になっているようです。
見学をした後、3人でお豆腐料理を楽しみ、ビールや焼酎をいただきながら、四方山話に花が咲きました。
横浜に帰るMちゃん、渋谷に住んでいる娘さんのところに泊まるYさんを別れて私は新宿のホテルに・・。
昔も新宿東口の歌舞伎町界隈は不夜城でしたが、今では西口も明るいものですね。
窓の開かないホテルでは部屋が暑すぎてなかなか眠れず困るのですが、この日のホテルは窓を開けることができて、空調を切り、窓を少し開けて心地よく眠りにつくことができました。