イシガケチョウの画像を初めて撮影することが出来ました。
6月頃ですと、標高1000m付近でもアサギマダラなどを結構見かけますが、イシガケチョウのほうが珍しいかもしれません。
子供時代、両親がいろいろな子供向けの図鑑をそろえてくれましたので、詳しくはわかりませんが、簡単な蝶などの昆虫の名前、魚の名前など何とかわかります。
イシガケチョウはイシガキチョウとも言って、羽根に石垣も模様があるからその名がついたのだろうと思います。花にぺったりと羽根を広げてとまっているので、最初は蛾かと思いました。おまけに頭を下にして、上下逆さまにとまっています。
私などは子供時代はこういう黒いトンボはどれもハグロトンボだと思っていましたが、こういうトンボにもいろいろな種類があるんですね。
とまっているのはフサザクラの葉っぱです。
羽根に白い模様があって、それが決め手で同定することが出来ました。
私などは田植えの終わった田んぼの横を歩いて小学校に登下校したので、懐かしい生き物です。
生きている化石と言われるカブトエビです。
私などは子供時代によく見ていた生き物です。子供心にも、それまで乾燥していた田んぼに水が張られ、田植えが終わる頃になると、いつの間にかカブトエビがいっぱい泳いでいて、一体どこから来たのか不思議で仕方がなかったです。
普通は2,3箇所を車で回って、帰宅するのですが、この日は走ったことのない道を走ってみることにしました。
琴南から財田へ抜ける道を走っていると、南に「尾瀬神社」と書かれた道標が見えてきました。尾瀬山は山渓の分県ガイドにも乗っている山で、少し興味があったので、神社まで行ってみることにしました。
何の前調べもせずに、行き当たりばったりで出かけたので、神社の入り口まで車で入れるかどうかもわかりませんでしたが、ここまでは来るまで行けるようです。
この門を入って直ぐにキャンプ場の管理棟がありましたが、それも最初は何の建物なのかよくわかりませんでした。
上り坂の道を数百メートル歩くと、やっと石の鳥居が見えてきました。このときは主人と一緒に行っていたのですが、主人は私と違い、長時間歩くのは苦手なので、この片が限度だったようです。
説明板がありました。それによると、この地には平安時代にはお寺があって、それもかなり大きなお寺だったようです。
戦国時代に長宋我部の焼き討ちで焼け落ち、廃寺になったようです。
今、司馬遼太郎の「街道を行く」を読んでいて、歴史嫌いの私が俄かに歴史に興味を持ち始めたところなので、興味深く読みました。
今、車で入ることの出来るようになった山奥ですが、それでも訪れる人の滅多にないようなこんな山の上に大きなお寺があったという・・・ちょっと想像ができ難かったです。
そういえば、山すそからこの神社にいたる道沿いにはずっと桜の木が植えられていました。往時はかなり隆盛を誇ったのでしょうね。
境内には大きな泉があって、平安の昔から一度もかれたことがないそうです。
渇水と旱魃に苦しんできた讃岐の地には、水にまつわる行事が多いです。
森閑と鎮まる境内の奥に本堂がありました。
ここまでお参りに来ることは地元の人でも滅多にないのでしょう。
境内入り口には香川の保存木に指定された大きなヤマザクラがありました。
花の季節に、一度来てみたいと、思いましたが、その頃はきっとどこかの山に登るのが忙しくて、来年は忘れていることでしょう。
神社から尾根筋を少し歩いたところに展望台があって、満濃池や飯野山が少しかすんで見えていました。
讃岐平野は6月13日の満濃池のゆる抜きが終わると、一斉に田植えが終わり、早緑色に染まることでしょう。