コメント:

なんだか信じられないような光景です。
1773年? (年表を見たら、徳川家治(10代)の時代でした!!)
橋を大切に思って? なるほど、川向こうへ行くのは大変だったんですね。
苔むした茅葺き屋根、中央部が広くなって。ただ単に橋を守ることから橋を楽しむところまで発展したのでしょうか?
長い橋になると途中で行列が待避出来るように広くしたのでしょうか?
たとえば、武士の行列が通るときとか? 
それとも庶民が憩いの場としても利用としたとか?
いろんな場面を想像してしまいます。

この地方に多いということは、この地方をおさめていた人の裁量がすばらしかったということでしょうか?

プルメリアさん、こんにちは。
安永という時代を調べたら、平賀源内や与謝蕪村、田沼意次などという人たちが活躍した
時代なんですね。江戸幕府がまだまだ安定していた頃でしょうか。

橋を架けると言うのは今でも大変な工事ですから、当時はさぞ大変なことだったでしょうね。
仙台の友人が言うには東北のほうでは見たことがないそうです。
あちらはそもそも雪が積もるので、屋根に相当な負荷がかかりますから、無理なのでしょう。
してみると、南国に多いだろうということが予想されますね。

金比羅さんにも「鞘端」という屋根付橋がかかっていますが、四国は大体に置いて沈下橋が
多いように思います。
でも、庶民のための橋にこうした屋根をかけるというのは、橋を大事に思う気持ちの表れでしょうね。
あと、収穫した穀類などを一時的に保管する倉庫の役目もしていたと、どこかで読みました。

椅子とテーブルを置いてある橋の光景はのんびりとしていて、どこか浮世離れしていましたが
眠ったようなこの地域(村)にはぴったりでした。
司馬さんの本にも、この地方のことはいろいろと書かれていましたが、土佐との比較が私には
興味深かったです。