うっとりするような雪景色です!! 枯れ木に積もる雪なんて、もう何年も見てないような気がします。 なんだか肺の仲間です〜っとハッカほどじゃないけどすっとするものを感じます。 写真は後ろ姿ばかりですけど、ゴーグル付けて人相が分からない状態でしたでしょう? アセビの花芽の最初は赤なんですね。いつも白い房になってから見てました。
プルメリアさん、こんにちは。 今日もこちら、雲ひとつない快晴ですよ。 ほんとはユキワリイチゲの偵察にでも行きたいのですが、今日は野暮用があって、 自宅にいます(^_^; 枯れ木と言うか、落葉した木々ですけど、そんな枝にまるで花のように雪がついた姿、 私も久々で見たような気がします。 去年も見てるのかも知れませんが、何しろこれが鉛色の空ですと、ちっとも綺麗ではなくて 印象に残ってないのかも知れません。 このときは皆、ゴーグルを忘れてたんですよ(^_^; というか、スキーなどと違って一日中雪の上ではないですから。昔、北八つなどに雪の時期に 登ったときは、そりゃもうゴーグルは必需品でしたね。 それと雪焼けがすごいので日焼け止めも・・。 私なんて、この日は日焼け止めを塗るのも忘れてたぐらいで(^_^; アセビの花芽は赤いので冬でもすぐにわかりますよ。 花も真っ白のや多少ピンクがかったのがありますよ。
あゆさんは、何でも手作りできるなんて、ほんとに器用ですね。 私たちの仲間は誰もゴーグルなんて作ってませんでしたよ。 それとも、世代が違うのかな?(^_^; そういえば、ゴーグルだけは昔のを失くしたかも知れません。 山の道具は何でも取ってあったんですけどね。
けいさん ゴーグルじゃないよ、雪めがねだよ。 あれぇ、知らないかなぁ。 真竹を乾燥させてね、二つに割る。 そうすると、筒を割った形の半円形になります。 その半円形のものを、普通のメガネのレンズ様に成形します。 そのレンズ様のとこの横向きに幅が2mmくらいの長いマドを開けます。 このタケのレンズ様のものを2個つないで、はしっこにヒモを通して耳にかけるんですよ。 理屈はね、雪の乱反射を防ぐ構造になるんですよ。 こんな、バカなことをしてたのは・・・ぼくらだけかなぁ。 調べてみましょ。
雪めがね、検索してみました。 商売上手なひとがルーペに「雪眼鏡」っつう名前をつけて売り出したのばっかし。 別な方法で検索しました。 「雪めがね」「イヌイットのサングラス」「遮光器」などなど。 ほんとの形をしたのが、ひとつもヒットしません。 遮光器土偶がたくさんヒットします。 そう、あの土偶の目をみてください。 あれと似たのを竹で作ったんです。 あはは、ぼくはヒマだこと(^^)v
あゆさん、こんばんは。 雪めがね・・・だって、私が生まれ育ったのは雪なんてほとんど積もらない四国の平野部 なんですよ(^_^; だから、雪めがねの必要性がないのかもしれません。 学生時代になって初めて、雪の上を歩くという経験をしました。 遮光器土偶・・・はい、画像を見なくても、何となくあれだろうとわかりましたよ。 遮光器ってのは因みに=ゴーグルのことなんですね。 確かにあの形はサングラスというよりゴーグルですね。 遮光器を作っていたのは子供時代? それとも大学時代なんでしょうか? うちの同好会では、あまり聞いたことがなかったですから、年代の差かな?といったら 怒られるかな?
けいさん どぉも。 雪めがねを作ったのは学生のときです。 こんなものを作らなくたって、サングラスも色つきのゴーグルもあったよ。 だけど、 エスキモーの人たちが雪原を移動するときに使っていると聞いて、 使ってみようと思った。 どこも、こんなの売ってません。 んじゃ、自分たちで作ろうと、 誰かがサンプルを持ってたんですよ、それを図面化して製作した。 アイデアとしては素晴らしいと思った。 光の入角が狭まるとまぶしさが少なくなるってのを知ってたなんて、 現代のぼくらよりも科学的ですよね。 だけど、あんまし役にはたちませんでしたよ。 ハーケンなんかも作ったよ。 ちゃんと鋼材を吟味してさ、友人の親父がやってる工場に行って鍛造の レクチャー受けて、当時の山用品のものよりもハイレベルのものを作りました。 アイゼンなども、足のくせをよんで内側と外側の高さの調整をしましたよ。 グラインダーかけてさ、焼き入れもしました。 とにかく、登攀用具なんかは自分で作ったのが多かった。 販売しているものでも、信用できないのがいっぱいあったしね。
年代の差? とうぜんありますよ。 ぼくとけいさんとは「ワンゼネレーション」くらいのギャップがあるんだよ。 あのね、 ゼネレーションというのはね、ひとが生まれて自分の子供を作るまでの期間です。 ぼくの云う、ワンゼネレーションと云うのは「24年」、そう干支でふた回り。 もっと簡単に云うと、ぼくの娘は今年40歳さ(^_^)/
あゆさん、こんばんは。 うちの同好会も理工学部の人だっていっぱいいましたけど、でも、山の用具を手作りしよう なんて話はついに出なかったと思います(^_^; 私たちの登ってた頃は、一応、ピッケルやアイゼンも、まずまずのものが市販されていたと思います。 でもね、山用の速乾のシャツなんて当時はなかったから、冬に山に行くときは、肌に直にウールの 薄でのセーターを着込むとか、苦労はありましたよね。 あと、食べ物は合宿のときなどはぺミカンや乾燥野菜を作ってましたよね。 忘れもしない、知床合宿のとき、私の下宿に皆で集まって、乾燥野菜を作りましたっけ。 自家製で作ったのはそれぐらいしか記憶にないかも・・。 う~~ん、年代の差はもっと少ないと思うけど、あの当時はいろいろなものがどんどん出回り始めた頃 でしたよね。 お嬢さん、そうですか。 うちは明後日、娘の姓が変わるみたいですよ。
コメント:高越山で雪を楽しむ、その3、雪の花
うっとりするような雪景色です!!
枯れ木に積もる雪なんて、もう何年も見てないような気がします。
なんだか肺の仲間です〜っとハッカほどじゃないけどすっとするものを感じます。
写真は後ろ姿ばかりですけど、ゴーグル付けて人相が分からない状態でしたでしょう?
アセビの花芽の最初は赤なんですね。いつも白い房になってから見てました。
プルメリアさん、こんにちは。
今日もこちら、雲ひとつない快晴ですよ。
ほんとはユキワリイチゲの偵察にでも行きたいのですが、今日は野暮用があって、
自宅にいます(^_^;
枯れ木と言うか、落葉した木々ですけど、そんな枝にまるで花のように雪がついた姿、
私も久々で見たような気がします。
去年も見てるのかも知れませんが、何しろこれが鉛色の空ですと、ちっとも綺麗ではなくて
印象に残ってないのかも知れません。
このときは皆、ゴーグルを忘れてたんですよ(^_^;
というか、スキーなどと違って一日中雪の上ではないですから。昔、北八つなどに雪の時期に
登ったときは、そりゃもうゴーグルは必需品でしたね。
それと雪焼けがすごいので日焼け止めも・・。
私なんて、この日は日焼け止めを塗るのも忘れてたぐらいで(^_^;
アセビの花芽は赤いので冬でもすぐにわかりますよ。
花も真っ白のや多少ピンクがかったのがありますよ。
あのさ、けいさん。
自分で「雪メガネ」作ったことはありませんか。
ボクたちは作ったよ、視界が悪くて実戦向きじゃなかったけど(^^)v
あゆさんは、何でも手作りできるなんて、ほんとに器用ですね。
私たちの仲間は誰もゴーグルなんて作ってませんでしたよ。
それとも、世代が違うのかな?(^_^;
そういえば、ゴーグルだけは昔のを失くしたかも知れません。
山の道具は何でも取ってあったんですけどね。
けいさん
ゴーグルじゃないよ、雪めがねだよ。
あれぇ、知らないかなぁ。
真竹を乾燥させてね、二つに割る。
そうすると、筒を割った形の半円形になります。
その半円形のものを、普通のメガネのレンズ様に成形します。
そのレンズ様のとこの横向きに幅が2mmくらいの長いマドを開けます。
このタケのレンズ様のものを2個つないで、はしっこにヒモを通して耳にかけるんですよ。
理屈はね、雪の乱反射を防ぐ構造になるんですよ。
こんな、バカなことをしてたのは・・・ぼくらだけかなぁ。
調べてみましょ。
雪めがね、検索してみました。
商売上手なひとがルーペに「雪眼鏡」っつう名前をつけて売り出したのばっかし。
別な方法で検索しました。
「雪めがね」「イヌイットのサングラス」「遮光器」などなど。
ほんとの形をしたのが、ひとつもヒットしません。
遮光器土偶がたくさんヒットします。
そう、あの土偶の目をみてください。
あれと似たのを竹で作ったんです。
あはは、ぼくはヒマだこと(^^)v
あゆさん、こんばんは。
雪めがね・・・だって、私が生まれ育ったのは雪なんてほとんど積もらない四国の平野部
なんですよ(^_^;
だから、雪めがねの必要性がないのかもしれません。
学生時代になって初めて、雪の上を歩くという経験をしました。
遮光器土偶・・・はい、画像を見なくても、何となくあれだろうとわかりましたよ。
遮光器ってのは因みに=ゴーグルのことなんですね。
確かにあの形はサングラスというよりゴーグルですね。
遮光器を作っていたのは子供時代?
それとも大学時代なんでしょうか?
うちの同好会では、あまり聞いたことがなかったですから、年代の差かな?といったら
怒られるかな?
けいさん どぉも。
雪めがねを作ったのは学生のときです。
こんなものを作らなくたって、サングラスも色つきのゴーグルもあったよ。
だけど、
エスキモーの人たちが雪原を移動するときに使っていると聞いて、
使ってみようと思った。
どこも、こんなの売ってません。
んじゃ、自分たちで作ろうと、
誰かがサンプルを持ってたんですよ、それを図面化して製作した。
アイデアとしては素晴らしいと思った。
光の入角が狭まるとまぶしさが少なくなるってのを知ってたなんて、
現代のぼくらよりも科学的ですよね。
だけど、あんまし役にはたちませんでしたよ。
ハーケンなんかも作ったよ。
ちゃんと鋼材を吟味してさ、友人の親父がやってる工場に行って鍛造の
レクチャー受けて、当時の山用品のものよりもハイレベルのものを作りました。
アイゼンなども、足のくせをよんで内側と外側の高さの調整をしましたよ。
グラインダーかけてさ、焼き入れもしました。
とにかく、登攀用具なんかは自分で作ったのが多かった。
販売しているものでも、信用できないのがいっぱいあったしね。
年代の差?
とうぜんありますよ。
ぼくとけいさんとは「ワンゼネレーション」くらいのギャップがあるんだよ。
あのね、
ゼネレーションというのはね、ひとが生まれて自分の子供を作るまでの期間です。
ぼくの云う、ワンゼネレーションと云うのは「24年」、そう干支でふた回り。
もっと簡単に云うと、ぼくの娘は今年40歳さ(^_^)/
あゆさん、こんばんは。
うちの同好会も理工学部の人だっていっぱいいましたけど、でも、山の用具を手作りしよう
なんて話はついに出なかったと思います(^_^;
私たちの登ってた頃は、一応、ピッケルやアイゼンも、まずまずのものが市販されていたと思います。
でもね、山用の速乾のシャツなんて当時はなかったから、冬に山に行くときは、肌に直にウールの
薄でのセーターを着込むとか、苦労はありましたよね。
あと、食べ物は合宿のときなどはぺミカンや乾燥野菜を作ってましたよね。
忘れもしない、知床合宿のとき、私の下宿に皆で集まって、乾燥野菜を作りましたっけ。
自家製で作ったのはそれぐらいしか記憶にないかも・・。
う~~ん、年代の差はもっと少ないと思うけど、あの当時はいろいろなものがどんどん出回り始めた頃
でしたよね。
お嬢さん、そうですか。
うちは明後日、娘の姓が変わるみたいですよ。