塩飽諸島の本島を歩く、その3、塩飽勤番所

本島での一番の見どころは何と言っても勤番所です。

今から20年以上も前に初めて本島を訪ねたのは、実をいうと子供の夏休みの自由研究の題材にと訪れたのです。そのときは笠島の町並みはまだ整備されてなくて見学しなかったのですが、勤番所には最初に来たように思います。

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勤番所の門を正面から見たものです。

P1291655 勤番所の説明書きです。

ここ塩飽諸島は古くから自治が認められていたのです。

塩飽の水夫たちは操船術にたけていたため、秀吉の朝鮮出兵の時などに海上輸送に功労があったことから塩飽の島々に領地を与えられ、大名に対して「人名」と称したそうです。

その人名の中から「年寄」が選ばれ、島の自治を行ったわけです。

P1291639 入ってすぐに勤番所内部を撮影した写真です。

奥に見えているのが咸臨丸の模型です。

P1291642 秀吉の御朱印状です。

P1291643 塩飽の人名制についての説明が書いてあります。

江戸時代ではほかでは見ることができなかった船方による自治領なんですね。

P1291644 咸臨丸の模型が置かれているのは、この船に塩飽の水夫が30人も乗り込んでいたからです。

P1291648 ピンボケですが、咸臨丸に乗り込んだ水夫がサンフランシスコで写した写真です。

腰には脇差を差してします。

P1291650 水夫がアメリカから持ち帰った遺品の品々。

P1291652 このグラスで、ワインなども飲んだのでしょうか。

P1291651 日本海軍の黎明期についての説明ですが、最初はオランダ海軍から学んだようです。

しかし、やがてイギリス海軍を範とするようになってきたことは私が読んでいる最中の「坂の上の雲」を読むとよくわかります。

それにしても、日本海軍の発展にも塩飽の人たちの活躍があったわけですね。

P1291637 勤番所内にはこんなお風呂場もありました。

一輪生けられていた黄水仙が何とも良いですね。

さすがに島は暖かいようで、あちこちで黄水仙を見かけましたが、我が家の黄水仙はまだまだ咲いていません。

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