仙台到着の翌日は香川の病院で書いてもらった紹介状を持って、初めて仙台の病院で孫が診察を受ける日でしたが、何とか無事に済みました。
孫の体調も良かったので、21日に親友が午後からどこかへ案内してくれることになりました。
午前中は娘宅の夕食の買い物や足りないものなどの買い物も済ませたところで、友人の車で出かけた先は石巻でした。
石巻市内の北上川沿いに日和山と言う小高い山があって、その上から眺めた北上川です。
大震災の時はこの北上川を海が逆流してきたのでした。
友人夫婦は津波の時、石巻市内にいました。その後、一週間、連絡が途絶えて、一時は津波にのみ込まれてしまったかと心配したものでした。連絡が途絶えていた一週間の間の重苦しい気持ちは今もはっきり覚えています。
その時のことを話しながら、ゆっくりと日和山公園を歩きます。
北上川にかかる橋の上は逃げようとする車でいっぱいだったそうです。
日和山公園には1961年当時のチリ地震の時の津波碑が立っていました。
大震災の丁度2年ほど前、石巻と言う町は津波が来ると怖いのよ、と彼女の口からきいていた私は、津波の後、彼女の安否を一番に考えました。
TVでも石巻の様子はなかなか映らず、一週間近く経って映った画像はこの日和山公園から眺めた画像ばかりでした。
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石巻の街と北上川が一望できる、日和山には昔から歌人などがたくさん訪れたようです。詩碑や歌碑だけでも、芭蕉、宮澤賢治、斉藤茂吉など何人もの歌碑が立っています。
これは宮澤賢治がこの日和山公園に訪れて初めて海を見たときに作った詩だそうです。
あの津波のあった後に私が出会った詩だからか、海を見て賢治も畏敬の念を抱いたのではなかったかと感じます。
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思えば、今年は岩手の行く先々で宮澤賢治の詩碑を見かけました。
早池峰山で、小岩井農場で・・・。
ここ石巻にも賢治の足跡がありました。北上川を川蒸気で下って石巻に着いたというのも、いかにも賢治らしいです。
芭蕉の歩いた後を辿る旅も良いだろうなと思えてきました。
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日和山公園の一画にセンボンヤリの綿毛がたくさん見られました。
丁度この付近から踏み跡が下へと見えていたので、辿ってみることにしました。
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細い踏み跡を下っていたら、思いがけず、白いキクの花が咲いていました。
12月下旬ともなると、東北の地では咲いている花もほとんど見かけませんから、驚きました。
葉の形がリュウノウギクとは違うようなので、イエギクかもしれません。
踏み跡を下りながら、あの津波の時に、この踏み跡を登って津波から逃げた人もいたんだろうなと思うと、何とも言えない気持ちです。
下りきったところはテニスコートになっていました。
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友人が待っている場所まで再び登って引き返したら、シキザクラが咲いていました。
この時期咲いている花とてほとんど見かけない公園で、桜の花を見るのも妙な気持ちでした。
ツツジやシダレ桜、ソメイヨシノなどの木も多く、春には見事な眺めになるのではないかと思いました。
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公園から下ってくると、かつて家の建っていた場所は空き地になっています。
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津波の来る前の北上川はほとりも自然のままだったそうですが、津波の後にコンクリートの堤防が出来たのだそうです。堤防だけが新しく白さが目立ちます。
この後、友人がもう一か所行きたいところがあると言います。
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日暮れを心配しながら、暮色の漂う北上川河畔を走ってたどり着いたのは大川小学校でした。
児童が70人以上も犠牲になったという大川小学校のことは私も報道などで知ってはいました。校舎もずいぶん綺麗でしたがコンクリート製の柵なども津波の力で打ち砕かれていました。
友人が車の後部座席に花束を置いてあるのは私も気づいていましたが、その花束はここで犠牲になった児童に捧げるものだったのです。
学校の建物のすぐ裏には小高い山があって、山に登る私からみれば、ロープでも用意してあれば、身の軽い小学生なら充分逃げられたと思うのですが・・・。
友人が「一度は被災地を見て欲しかった」という気持ちが痛いほど伝わってきました。