尾根道をほんの100mほど歩いたところに、またまた祠がありました。
こちらの祠には天保5年という文字が読み取れます。横のほうにはこの祠を奉納された人の名前でしょうか、人名らしきものが彫られてます。
天保5年というのは1834年のことらしいので、今から180年ほど前のことです。
こんなところに、大きな石を背負って担ぎ上げるわけですから、昔の人は信心深かったと言わざるをえません。
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二番目の祠の周囲を探してみましたが、ちゃんとした下り道はなさそうなので、仕方なく来た道を引き返します。
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分岐のところから下向きについていた道を下った訳ですが、↑のようなしっかりした道でした。
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下る途中、北側を眺めると、先ほど登った山条山が見えています。
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↑道としてはしっかりした良い道ですが、落ち葉がびっしり積もっていて、滑りそうでそっちを警戒しました。2年前にやはり落ち葉の上で足を滑らせて、その後一年、正座ができなかったのです。
今度滑らせてもう一度足首をひねったら、もう山に行けなくなりそうなので、用心しながら下ります。
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↑15時25分、鳥居のところまで下ってきました。
その鳥居ですが、石組が外されていて、めちゃくちゃになっています。
何か人為的な壊れ方のようにも見えますが・・・・一体何があったんでしょう?
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鳥居からほんのすぐ下は車道になっていました。
比地と吉津を結ぶ峠道、そしてそれに交差した車道です。
ここは何年か前に一度だけ、車で通ったことがあります。
ここを爺神山方面に行けば、縦走が出来ますね。
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私は吉津方面へと峠道を下って行きます。
道沿いのモクレンの花芽が、知らない間に膨らんでいました。
モクレンはうちの庭には植えてないので、今頃の様子を知りませんでした。
桜に先駆けて咲く花ですね。
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太めの車道は避けて、池沿いの細い道を選んで歩いていると、民家の塀に↑のような真っ赤な実が無数にぶら下がっていて綺麗でした。何の実かちょっと判りませんが、植栽されているものでした。
この付近は地図を見ると「瓦谷」と言うそうで、やはり宗吉の瓦窯の瓦が古くから出土していたのかもしれません。その近くにも「溶目」と書いて「うてめ」と読む地名があるそうで、これなど、絶対に読めそうもない地名ですが、どこから来た地名なのか考えると面白そうです。
7世紀頃から開けていて、その昔から祖先が住んでいたと考えたら、ちょっと気が遠くなりそうですね。
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田んぼの畔には、この冬初めて見かけたオオイヌノフグリが咲いていました。
寒い冬なので、いつもだと早くから見かける花ですが、今年はあまり見ていません。
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登山口のところから見えた池にさしかかりました。
ですが、池の反対側にしか道がついてなさそうなので、大回りをします。
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池のほとりからは、先ほど歩いてきた山条山から154m小ピークへの稜線が良く見えています。
自分が歩いた道をこうして後から眺められるのはとても嬉しいことです。
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↑こちらは下りてきた峠付近を眺めた画像です。
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そして、同じように、池に写った爺神山と本物の爺神山。
中央部が抉り取られています。
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15時44分、登山口に帰ってきました。
ここを歩き始めたのは14時17分だったので、一時間半ほどの歩きです。もっとも、休憩があるので、賞味は時間ちょっとの歩きです。
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宗吉「瓦の里」の裏まで帰ってきました。
このまま階段を下りれば直ぐに車のところに着きますが、ここで、以前この辺りに小さなカフェがあったことを思い出して、そのまま歩いていきます。
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そうしたら、山条山への別の登山口らしきところを通過しました。地図にも波線で記載があります。これが、山頂直下にあった分岐の「駐車場への近道」だったようです。
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↑登山口のところにあった貼り紙です。
カフェのほうは残念ながら、居合わせた地元の方にお尋ねしたところ、カフェの方がもう出かけられたのでお店が開いてないだろうということでした。以前、母とたまたま見つけて来たときも閉まっていたので、二回続けて振られました(^_^;
またそのうち、母とでも来てみますか。
確かカンパーニュと言う名前だったような?
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あぜ道のすぐそばでは、早くもボケの花が一輪咲いていたのが印象的でした。
ボケってこんなに早く咲くんでしょうか?
うちの庭のボケは3月とか4がつにならないと咲かないのだけどと思いながら、車を停めたところまで歩きました。
結局一座しか登れなかったけど、初めての山条山に周回コースで登れたのは収穫でした。