五万図で思い出を辿る

最近になって、同じ四国に住んでいても音信不通だった大学時代の同期の山仲間S君と、メールのやり取りが始まった。同じく同期だったN君のお墓の場所を教えてほしいというI君宛てのメールが、私のもとに転送されたのがきっかけだった。私は今年の1月に熊谷にあるN君のお墓にお参りしているので、場所はよくわかっている。

メールのついでに山歩きを復活したこと、夏には仙丈に登ったことなど書いたら、返事がきた。どうやらS君も山歩きはずっと続けているらしく、たまに本州の山にも行くこと、四国内の山はよく歩いていることがわかった。そして仙塩尾根がつながれば、甲斐駒~大無間、小無間まで赤線が繋がることなど・・。

そこで私も数十年前の五万図を引っ張り出した。市野瀬、大河原、赤石岳と繋げてみる。

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私の赤線は甲斐駒黒戸尾根から始まっているが、駒~北沢峠、仙丈~三峰岳が抜けている。駒~北沢峠はほんとなら繋がる予定だったけど、同行していたT君が体調不良で黒戸尾根の途中でビバークになり、ピークまでのピストンで終ったのだった。

塩見岳には大学二年の7月と3年の秋合宿の2回、登っているはずだ。7月は広河原から北岳大樺沢を登りその後、間ノ岳~農鳥ピストン~塩見岳~三伏峠というコースだ。北岳肩の小屋でテント箔したのは記憶にあるが、もう一泊はどこだったろう?

そして、3年の秋は 椹島から赤石東尾根を登り、そのまま北上して塩見まで歩き、最後に三伏峠に取って返し下山しているようだ。この秋の南アルプスは天候に恵まれず、ほとんど雨に降られたようなものだ。とにかく寒くて寒くて、凍え死にするかと思ったほど。今ならゴアテックスの雨具があるだろうけど、当時の雨具なんて粗末なもので体がずぶ濡れになって、秋山の怖さを嫌と言うほど思い知った山行だった。このときは天候が悪かったからか、それともパーティーにカメラマンがいなかったか、写真が一枚も残っていない。おまけにリーダーのH君が記録を提出しなかったようで、記録も残ってないので、記憶がなんとも曖昧だ。

しかし、五万図を見る限りでは、私は三伏峠から大鹿村の塩河に二度下っているのだ。

大鹿村といえば、夏に仙丈登山口の長谷村に車で行った折、青ケシ見物するために立ち寄った場所だ。しかし、二度も下ってきたというその記憶が全然蘇らなかった。人間の記憶力なんて、その程度のものなんですね。因みに大鹿村のその農園からは前山が妨げになって、南アルプスの稜線は見えませんでした。

Dsc00805 画像は大鹿村からの下り道で見かけたショウマ。こんな綺麗なショウマを見たのは初めてでした。

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