続・瀬戸内の島巡り、その3、見事な瓦

帰りの船に乗る前に、船に乗り合わせた地元の方が「見るといいよ」と勧めてくださった資料館に行くことにしました。

確か、八幡神社の前から東に進めばよいはずです。

ゆるい上り坂になった細い道を歩いて行くと、立派な家が目に留まりました。

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頭上直ぐのところに、こんな立派な屋根瓦が見えています。

瓦には、菊や亀の模様、そして家紋でしょうか橘の紋が見えます。

昔の瓦職人さんの腕の見事さには驚くばかりです。

P2041397rippana_yanegawara_2 屋根全体を眺めたところです。

P2041396_2 トップの画像を細かくしたものですが、家の面によって、瓦の模様も違う模様になっているのがわかります。

この前の粟島行きでも、日本の瓦屋根の美しさをしみじみと感じたばかりだったので、尚更感じたのかもしれません。

それと、伊吹島は全島が小高い丘になっており、傾斜地に家々が建っています。そのため、路地をはさんで一方を見れば、屋根が見え、片方は家の基礎部分が見えると言う具合です。そのためにこの立派なお宅の屋根瓦を間近で見ることができました。普通なら、屋根の上なので、よほど目がよくないとここまで細かくは見えません。

P2041398 これも屋根の上で見かけたもので、瓦製の鷹でしょうか?

まさに屋根に贅を凝らしたという言葉がぴったりです。

P2041399 路地の横にはここでもハッサクでしょうか、柑橘がぶら下がっていて、いかにも島の雰囲気です。

それにしても、粟島は野山が多く、集落は海の近くにちょこっと固まっているのに比べて、伊吹島は家が多く、ずいぶん人口密度も高い島だったようです。

P2041384 先ほど高台まで登ったときに眺めた島の中心部の眺めです。

普通は島と言うと、もっと家が疎らなことが多いのですが、びっしりと家が建っています。

P2041401 八幡神社から歩いて5分も経たないうちに資料館に着きました。

人口の推移などが一覧表で示されています。

島にしてはずいぶん活気があると思ったのですが、それでもいちばん人口が多かった頃と比べると5分の1弱になっているのですね。

P2041402 伊吹島の概要もありました。

P2041403 漁に使われていた道具や生活用具などの展示物です。

その後に入った部屋には伊吹島の風習や言葉などに関する資料がありました。

見ていると面白くて、つい撮影し忘れたのですが、伊吹島のアクセントや方言は独特で、多数の言語学者がこの島に調査に来ているようです。

あの金田一春彦もこの島に訪れているんですね。

それと、高台を歩いていたときに道標に「出部屋」というのが記されていて、友人と、「出部屋って何だろう?」と話していたのですが、出部屋に関しても資料がありました。

出部屋についてはこちらをご覧ください。

かいつまんで記すと、伊吹島では女性は出産直後に、島の北のほうにある出部屋という施設に行き、母子ともに一ヶ月ほどそこで集団生活を送ったそうです。もともとはお産が不浄のものと考えられていたことから、お産をした女性を隔離する意味合いがあったのだと思いますが、実際は清潔な施設でお産をした女性が助け合って生活した場所のようです。

現代では子供を生んでも、その後は子育てに困ったときに相談する人もいないことが多いでしょうが、伊吹島ではこんな制度があったのですね。昭和45年まで約400年間も女性だけの共同生活が営まれたと言うのですから、すごいです。

P2041405 船の時間が迫ってきたので、もっと資料を見ていたかったのですが、急いで路地を下ります。

急坂の道を相変わらずバイクが上り下りする光景は、私などからは怖い眺めでしたが、島の人たちは慣れているんでしょうね。

船着場までは道が下りなのと、わき目を降らず歩いたおかげで10分で下ることが出来ました。

残った時間で、船着場の直ぐ近くにあるイリコ工場らしき辺りを歩いていたら、こんな石仏さんが祀ってありました。

綺麗な水仙の花がお供えされています。

島に住む人は漁業関係者の方が多いので、特に信心深いのでしょう。

一体に古い道を歩くと、お寺や石仏があちこちにある四国ですが、島はとりわけ数が多いように思いました。そしてそのどれもに綺麗に花が上がっているのが印象的でした。

P2041406 伊吹島というとイリコの島というぐらいしか認識がなかった私ですが、実際に来てみると、歴史や風俗、文化もずいぶん面白くて、自分の無知さが恥ずかしくなります。

瀬戸内芸術祭という催しが去年はずいぶん人気があったのですが、都会からそういうときだけ訪れるのではなく、何気ない普段の島の姿を見るほうがよほど素晴らしいと私には思えます。

帰りは実家から近い宗吉瓦窯跡にも友人を案内したのですが、古くから人が住みつき、文化の一端を担った讃岐と言う土地柄を誇りにしたいと思ったことでした。

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