映画にも小説にもシリーズものと言うのがあって、1作目を読んだり観たりして面白いと、なんということもなく、次からも読んだり観たりしてしまう。
1992年にある雑誌の書評で新しいタイプのミステリーが誕生したと紹介されたと読み、すぐさま手に入れたのがパトリシア・コーンウエルが書いた「検屍官」だった。
以来、年末のクリスマス頃になると新作が出るこの検屍シリーズを読み始めて13年が経った。
廊下に作り付けになっている本棚の片隅に並んでいる検屍官シリーズ。
整理整頓は得意なほうではないので、たぶん他のところにも分れて置いてあるのだと思うが、毎年出るシリーズは全作品読んだと思っていた。が、なんとここを見ると04年発行のものが落ちている。う~~む、早速手に入れなければ。
初期の作品に、すでにパソコンを使ってメールをやり取りすると言うことが書かれてあった。92年当時といえば、パソコンはまだまだオフィスでのみ使用する代物で、インターネットなどと言う言葉は聞いたこともない時代だった。2000年にある事情でエクセルを憶える必要があって、初めてパソコンに触れた私は、それまでパソコンどころかキーボードもワープロも触ったことがなかった。「メール?それなんのこと?」状態もいいところ。メールの概念すら理解できなくて、パスワードを誰かが盗んでメールを盗み読みしたと言うような内容もあったけど、さっぱり意味がわからない。
ただただ想像だけで読んでいたのだった。
やがて自分もパソを使い始めて、人並みにメールも送るようになって、この小説に書かれてあることが、理解できるようになった。
ネットやメールがごく一部の人だけのものだった頃から一転して、いまや、携帯メールからでもカナダにいる友人にメールしたり、アメリカにいる元生徒とチャットが出来る世の中になった。
頭で思うよりも 現実の世界の変遷のほうが早くて、目をパチクリするばかりだが、さて、どこまでこの変遷についていけば良いのか?数ある出版物から読みたい本を選ぶのと同じで、ネットにおいても取捨選択が大事かなぁ。
意外に読書などというアナログな方向に戻るのかも?