この長火鉢は私がこの家に嫁いできたときには、炭火を入れて現役で使われていたものです。姑が早く死んだので、長火鉢の由来などは聞いた事がないのですが、恐らく、茶道が好きで、古いものが好きだった姑が、買い求めたものではないかと思います。
火鉢を出すきっかけは、一週間ほど前に、仙台在住の昔からの友達が、荷物を送ってくれたのでした。荷物の中には「七が宿の白炭」というのが入っていました。白炭というのは初めて聞いたのですが、焼き方が普通の炭とは違うらしく、よく聞く備長炭なども白炭の一種で、備長炭は「ウバメガシ」の木を焼いたものだそうです。ウバメガシというのはこの辺では「バベ」と言い、うちに庭にも何本も庭木として植えられているし、この当りの里山ではごく普通に生えている木なのです。ちょっと意外でした。
私の実家は両親が私が小学生の頃に建てた家ですが、父が新しいものが好きだったので、小さい頃から暖房器具はストーブでした。が、両親が家を建てる前後の1年半ほど、祖母の家に住んでいたので、火鉢でお餅を焼いたりという生活も経験しています。
祖母の家の火鉢は、よく農家にある瀬戸物の火鉢でした。
さて、気にしたことはなかったのですが、自宅には火鉢が6,7個ほどもあって、瀬戸物の弥、塗りのかかった軽い手あぶり、金属製のもの(たぶん真鍮製?)などがあるのですが、ここは長火鉢が便利そうということで、長火鉢を引っ張り出してきました。
これが白炭です。火鉢に入れるには長かったので、金槌でたたいて割りましたが、キーンという金属製の音がします。かなり硬いのですね。
袋にはご飯を炊くときに入れたり、水道水に入れると水が美味しくなるとありました。
火熾しが以前はあったはずですが、前に外で雨ざらしになっているのを見た覚えがあるので、あったとしても使い物にはならなさそうです。仕方なく、HCで火おこしを買ってきましたが、これは安価でした。
あとは火箸や鉄瓶、炭入れといった、火鉢用の道具ですが、これは茶室の水屋の道具入れにありました。
炭かごの中にはなんと30年前の炭がそのままに入っていました。
普通の竹篭と違い、炭の粉が落ちないように、内張りをしてあります。左手前のはこの辺りの特産の一貫張りの入れ物で、これも炭籠として利用していた様子です。
姑が生きていた頃には、使ってなかった銅壷(どうこ)ですが、のん兵衛夫婦なので、徳利も入れてみます。
そして、数十年ぶりに自宅でお餅を焼きます。
お餅は暮れに自分で搗いた自家製のお餅です。
銅製の箱型の容器で、手前の徳利を立ててある部分は水が入るようになっています。
奥の小さな炭入れは酒の肴を炙るとこらしいですが、この中の炭火で銅壷ないの水がお湯になり、いつも熱燗の状態をキープできますので、お酒がついつい進みました。昔の人はうまく考えたものです。
なお、銅壷の高さが10センチ以上もあるので、徳利は二合徳利など、丈の高いのでなければ沈みます。
後日、五徳の小さいのが欲しかったので、田舎のよろず屋さんに行ったら、ほうろくを見つけました。
山友達の方から、銀杏をたくさんいただいていたのがあって、早速、その夜はほうろくで銀杏を炒りました。
火の当りが柔らかいからか、殻が弾け飛ぶようなこともなくて、良い塩梅に炒ることが出来ました。
大人のままごとみたいな、火鉢遊びですが、炭火が赤々といこるのを見ていると、時を忘れます(「いこる」というのは、この辺の方言で、炭火が赤く燃えている様子です)
こんな昔のスローライフに、なんとなく惹かれるのは、年をとった証拠でしょうね。