半世紀ぶりに飾る私自身の雛人形
丁度、去年の今頃、約20年ぶりに娘の雛人形を出してきて飾りました。
というのも、娘が結婚することになって、この家で飾るのも最後だと思ったからです。
そのときの記事はこちらにアップしています。
実家の母にも見に来てもらったのですが、母がその折に「あんたのお雛様も家のどこかにあるはずやから、そのうち持って帰るように」と言うのです。
その後、去年の秋頃だったでしょうか、実家に行った時に二階の天袋を少し探してみました。そうしたら、学生時代に使っていた登山靴などとともに、雛人形も出てきました、
そのときは、特に今年の桃の節句に飾ろうと言う気もなくて、段ボール箱に入れたままにしてあったのです。それが、2週間ほど前に隣町に仏壇に供えるお花を買いに行ったとき、柳飾り用の柳を売ってあるのを見かけたのです。
実は去年ぐらいから、子供時代に父方の祖母の家に、私が子供時代に飾ってあった餅花のことを折に触れて思い出し、一度作ってみたいと思っていたのです。そこで、柳を買ってきてありました。
餅花を飾るのであれば、一緒に雛も飾ろうと思いついたのが昨日のことです。
ダンボールに入れてあった雛人形を出してみましたら、段飾りではなく、どうも御殿雛のようです。といっても御殿も自分で組み立てるのです。何しろ、私自身がもの心がつく前に飾ったきりのようなので、組み立て方もわからず、ネットで画像検索して四苦八苦しながら組み立てました。
箱に入れたまま50年以上も出してない雛がようやく日の目を見たのでした。
お餅は搗くつもりでもち米まで買ってきていたのですが、これもネットで調べると、市販の切り餅を電子レンジで数分間加熱すると柔らかくなるので、そこに食紅を入れてこねるといいようです。ただし、手が熱くなるので水に漬けたりするうちにお餅の粘りが弱くなって、落ちてきたりで苦労します。
ほんとは白いお餅も一緒につけるのですが、明日ぐらいにしたいと思います。
ちょっと寂しい餅花ですが、お許しを・・。
この餅花、父方の祖母の家に、旧正月の頃になると飾ってありました。でも、先ほど検索すると、旧正月ではなく、小正月に飾ってあったとありました。
私が小学生高学年の頃です。
田舎の座敷は寒くて暗く、その薄暗い座敷に赤いお餅の花が揺れる餅花は、子供心にも綺麗に思いました。
祖母が生きているうちに作り方など、聞いておけばよかったと、いまさらながら思いますが、祖母が亡くなってもう20年近く経ちます。
私の記憶では、画像のように長押の溝に餅花を挿していたように覚えています。
私が生れたのは戦後7年経った年ですが、まだまだ当時の日本は貧しかったと思います。
物のないその時代に祖母がわざわざ持って来てくれたという雛人形を見ると、感謝の気持ちでいっぱいです。
私自身は子供の頃から今に至るまで、人形遊びなどに興味がなくて、いつも外で遊びまわる子供だったので、たぶん雛人形を飾って欲しいなどと言ったこともなく、母も年子で弟が生れたり、その後も仕事をしていたので、出して飾る暇もなかったんでしょうね。
すっかり忘れ去られていて、まるでタイムカプセルみたいなお雛様です。
若い頃は雛人形など欲しいとも、飾りたいとも思わなかった私ですが、母となり、やがては祖母と言ってもおかしくない年代になると、母の気持ち、祖母の気持ちをしのんで飾っているというのが正直なところです。
こちらは私も覚えがあります。
私が小学生の頃まで、クリスマスと言うと父がモミの木を買って帰りました。
今みたいに作り物のツリーがなかった頃です。
そのモミの木に飾り付けていたクリスマスの飾りなんです。
母はこんなものまで取ってあったんですね。
物のない時代だったけど、祖母、父、母が私たち姉弟のことを、慈しんで育ててくれたことをしみじみありがたく思っています。
こんばんは~♪
まぁ、素晴らしいお雛様ですね。
半世紀ぶりに飾って頂いた、お雛様、きっと喜んでますね。
去年の段飾りのお雛様も見せて頂きました。
keitannさんはご実家も、今のお家も由緒ある家なのですね。
お祖母様、ご両親様が大事に大事にkeitannさんを育てられたのですね。
餅花って何でしょう。って思いました。
ヤナギを飾るのも、何に飾るのかしら?って思って読み進むみました。
とっても風情があって綺麗ですね。
愛情いっぱい注いで下さったのですね。
私は下町の商売やで、兄弟多かったので、一人のために、こんなに大事にお雛様を飾ってもらった事ないです。
投稿: ベルママ | 2011年2月12日 (土) 21:25
ベルママさん、こんばんは。
最初に申し上げておいたほうがよいと思ったのですが、私の実家は
父は普通の公務員で農家の五男です。雛人形は塗りも粗末だし、決して
できの良い物ではないですが、祖母の気持ちが嬉しかったのです。
祖母の家は田畑はわりとたくさんあったようですが、普通の農家でした。
母は三人娘の長女だったので、兄弟の多かった父が婿養子に来ました。
讃岐では嫁(婿)の実家が雛人形などを送る風習があるので、祖母が私の
雛人形や弟の八朔人形を贈ってくれたようです。
決して裕福でもなんでもない祖母が、日本と言う国が戦争に負けて
、もののなかった時代にこの人形を持ってきてくれたのです。
それだけに、祖母の気持ちがありがたくてわざわざ飾ってみようと思ったのかも
しれません。
父と母が父の実家である祖母の家の近くに小さな家を建てることになって
家が建つ間、私たち一家は祖母の家の離れに一年間ほど住んでいました。
その間に、祖母の家で駆っていた牛や鶏の餌やり、竈での風呂焚きなどが
私たち兄弟の仕事でした。でも、そのときの記憶が今も鮮明で、様々な折に触れて
思い出されます。
年を取ると、昔のことが良く思い出されると言うのはほんとですね。
昨日は実家の母がこの雛人形を見に来てくれました。
お金はないけど、春の桃のお花見に始まって、いろいろな野山への遊びにつれていって
くれたのは父でした。
日本全体が、そういう貧しい時代でしたが、今みたいに子供の虐待だの、無差別殺人だの
やりきれないことは少なかったですよね。
娘に女の子が生れたら、もう雛人形を買う必要はありませんね。
ベルママさんのご実家もきっとご両親が愛情深く育ててくださったに違いありません。
投稿: keitann | 2011年2月12日 (土) 23:16