秋祭りの日の庭
今日、明日と当地では秋祭りです。
10月15日~20日の間の週末と決まっているようです。昔は当地の秋祭りの時期は、夜はかなり冷え込んだもので、夜の太鼓台の後をついていく歩くのは寒いので、子供たちや私も必ず上からジャンバーや半纏などを着込んだものです。
それがいつのころからか、秋祭りのころになっても昼間は暑く、これを書いている今も半袖なんですよ。
それはともかく、お祭り一日目の朝9時には、毎年、来てくれる獅子舞が今朝も来て、獅子を使ってくれました。(この辺では獅子舞を舞ってくれるのを「獅子を使う」と言います)
今日は晴れて天気もよいので、自宅前の道路で使っていただきました。
獅子舞の人たちも老齢化する一方でしたが、今年はちょっと若い人が使っていました。でも、それだけにちょっと動きがぎごちないところがありましたけどね。
獅子の着物を油単と言いますが、ここのものは木綿地のあっさりしたものですが、私の実家方面では田舎だからか、縮緬に友禅染を施した豪華な衣装です。値段も数百万もすると聞いています。
我が家には、地区と地区の境界辺りにあるので、もう1組、別の地区の獅子もやがてやってくるはずです。
今週で一番の青空です。
夜が少し冷え込み始めたので、畑のへブンリーブルーの青が一段と濃いです。
ここのところ、毎日のように花を見せてくれます。
今年はいつになく遅かったです。
例年ですと9月末ごろから見かけるのですが・・。
この前から、脚立に登ったり屋根に上ったりして、何とか剪定したウバメガシの木。当地ではウバメガシのことをバベの木と呼びます。
夏ごろには枝がとんでもなく伸びるので、刈り込みますが、大きな木ですとこれが一仕事で、我が家にはバベの大木が2本あります。山登りさながらに三点確保を心がけていないと、落ち込むこともあるようです。
刈り込んだだけで、まだ落とした枝を掃除してない、ちらからった庭です。
今日はお祭りですが、お休み返上でこれを掃除しなければ・・・。
昔は秋祭りと言うと、娘に四つ身の着物を着せて、親類を招いて料理の腕を振るったものですが、今は夫婦二人で静かなものですね。(^_^;
keitannさん、こんばんわ。
素敵な、お祭りの風景ですね。。。
私の実家、福山の古い街でも、この20日前後の土日が秋のお祭りです。
のぼりや、あれはなんていうのか、縄に白い紙きれのようなものがついたのが、あちこちに張り巡らされ・・・鬼と神輿が練り歩きます。
懐かしいです。
私が今住んでいるところは、山を切り崩してできた、新興住宅地なので、お祭りがないのです。
自然に囲まれて、気に入った場所ではありますが、
昔から、受け継がれてきたお祭りが無い、ということは、根っこがないようで、
子供達には申し訳なかったような気がしています。。。
最後のお庭の写真も、とても郷愁をそそられます(涙)。
母の実家の鞆の浦の家の雰囲気にとても似ていて、同じ空気を感じます。。。
こんな素敵な歴史のあるお家・・・ずっと、ずっと残っていて欲しいと思います。
ばべ・・・という響きも、何十年も聞いていなかった言葉です。
ほんとうに 懐かしいです。
秋の澄んだ空気が、お写真から感じられ・・・
とても良い気持ちになりました。
ありがとうございます。。。
投稿: なずな | 2010年10月17日 (日) 01:42
なずなさん、おはようございます。
私が讃岐を離れていたのは、二十歳前後の6年ぐらいなので、それ以外はずっと秋祭りの光景を見ながら過ごしてきました。
光景と言うよりも、お祭りの獅子の太鼓や鉦の音、太鼓台のドーンドーンというお腹に響く音などが耳になじんでいると言ってもいいですね。
子供のころはやはり四つ身の着物を着ては、お宮さんに行き、着物を汚すのを母に叱られながらも、たこ焼きなんか食べたものです。
父方の祖母の家に行くと、バラ寿司と色粉で黄色い色をつけたてんぷらなどを振舞われたものです。昔は御寿司やてんぷらはハレの日の食べ物でしたよね。
縄に白い紙をつけたのは紙垂(しで)と言うようです。
うちのほうでも、祭りの頭屋(とうや)に当たっている地区の周囲に笹を立ててシデを吊るします。
来年はうちの地区が頭屋なんですよ。
新しい町には、古くからの秋祭りがないのはちょっと淋しいですね。
瀬戸内の広島側でもウバメガシのことをばべと呼びますか?
ほっとしました。(^_^;
瀬戸内の海岸や島は痩せた花崗土で出来ているので、ばべや松みたいな強い木しか育たないみたいですね。
このあたりの生垣がばべの木を使っていると言うのも、その土地の風土に合っているのでしょう。
関東や信州の民家を見ると、庭木として植わっている木なども全然違い、家の作りもまったく違うのが見ていて面白いですね。
投稿: keitann | 2010年10月17日 (日) 11:18
keitannさん、おはようございます。
そうなんですね。あれは シデって言うんですね。
あれを見ると なんだか ワクワクします(^。^;)。きっと 子供の頃のお祭りの楽しさを思い出すのでしょうね…。
広島の実家はとなり町は岡山県でしたので、言葉も文化?も
岡山よりでした。
お祭りや 何かおめでたいことがあると、祖母が バラ寿司を作ってくれました。
上に乗ってるのは 穴子とさやえんどう 椎茸の煮たのと 錦糸卵 そして海老粉 と呼ぶ 海老のでんぶでした。
私は この海老のでんぶが大好きで、祖母の手伝いをしながら、よく つまみ食いしてました(^。^;)。
瀬戸内海の地の小海老を茹でて、すり鉢で擦り、甘く薄いピンク色にいりあげたものです。
すり鉢を持つのが 私の役目だったような記憶があります。
関東に嫁いで 、海老に味がなく(冷凍のじゃあ仕方ないですね)海老粉を作っても美味しく出来ないことが、悲しかったものでした。
もう一度、あの海老粉 食べてみたいです。
なんだか keitannさんの記事を見ると いろいろ懐かしく、長文になってしまいます。。。
お許し下さいませ。
投稿: なずな | 2010年10月19日 (火) 06:22
なずなさん、こんにちは。
そうなんです。シデのことは、私は最初は木の名前から知りました。
クマシデとかイヌシデとか、山に行くとシデ仲間がいっぱい生えていて
実がぶらぶらとぶら下がった様子が、あのお祭りのときのシデにそっくりです。
それから、シャジンの仲間にもシデシャジンというのがあって、やはりシデに
よく似た面白い形の花を咲かせるようです。
岡山は香川のお向かいさんですから、やはり香川にも似通ったものがありますよ。
気候などは瀬戸内特有の乾燥した気候なんでしょうね。
デンブは海老で作るんですか?
桜デンブはこちらでも御寿司の上にかけたりしますけど、うちの母はあまり使って
なかったと思いました。
でも瀬戸内の活けの海老で作るとさぞ美味しいことでしょうね。
こちらではまだ地物の海老も売ってて、私なども見つけたら買ってきてかき揚げに
します。
昔はすり鉢を持つのは子供の役目でしたよね。
うちでも末っ子にはゴマをするときはよくすり鉢を持たせました。
そのうち、大きくなったら、自分でゴマすりをしてくれるようになって、母親は
楽でしたけど、今はいないので仕方なくまた自分ですってますよ(^_^;
関東暮らしの経験は浅いのですが、食べ物でも何でも、やはり関西のほうが昔からの
暮らしが根付いているのか、味に深みがあって美味しいような気がします。
山に登っても関東の山ではせいぜい鎌倉以降の史跡しか見かけませんが、こちらの
なんでもない山に登っても、紀元8世紀ぐらいに大きなお寺が建っていて栄えていた
などと見ると、じーんときます。
投稿: keitann | 2010年10月19日 (火) 13:10