3月11日の青花
10年前の3月11日のブログの記事です。
こちらです
畑で庭仕事をしていて、一段落して休憩を入れようと家に帰ってきたら、まるで映画の一コマみたいな画面がTVで流れていました。思わず主人に「これって映画?」と訊きました。
その後1週間ほど仙台の親友の消息が知れず、ずいぶん落ち込みました。生きているとわかったのは17日のことでした。気が抜けたようになり、「良かった良かった」とだけつぶやいてました。
今でも夜中に1時間とか2時間、彼女と電話しますが、これもお互いに生きていたからこそ。私の方もその後大病をしましたが、手術後2週間ぐらいのときに、彼女が仙台から丸亀の病院まで駆け付けてくれました。
お互いに半分死んだみたいなものだね、いつでも死ぬ覚悟はしておかなくてはとよく話しています。
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