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2005-11-06

蕪村寺

午後から雨も小降りになったので、庭仕事をやってしまおうと思っていたら、主人が「与謝蕪村の蘇鉄の屏風が公開されているので見に行こう」と言う。

妙法寺は以前から場所は知っていたが、蕪村寺と呼ばれていることや蕪村が逗留して襖絵などを描いたということは知らなかった。

Dsc01126_1

↑の花画像は以前にも一度取り上げたタカサゴフヨウの花。てっきり、道端に咲いてるだけと思ったが、ここ妙法寺の境内ではちゃんと植えられているようだった。それにしても真夏から咲いているはずなのに、ずいぶん花期が長い。

Dsc01123_1 いつもは商店街に面したお寺の門は固く閉ざされているが、今日は大きく開け放たれている。門の中央にこんな家紋が・・。帰るときにお寺の方に尋ねたら備前蝶という家紋だそうだ。蝶の家紋は何度か見たことがあるけど、これははじめて見た。

Dsc01131_1 屋根瓦にもやっぱり蝶の紋が入っている。

Dsc01122 門からお寺の中を見るとこんな風。

本堂で公開されていた蕪村の蘇鉄図は撮影禁止なのでこちらをご覧下さい。

それにしても蕪村というと俳人としてのイメージが直ぐに浮かぶが、画家としても当代一流の人だったんだね。

お寺では蕪村が描いたという庭の蘇鉄も見せてくださった(勿論、当時の蘇鉄の子孫だが)

Dsc01133

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コメント

keitann様 こんばんわ
年表で調べてみましたが、
蕪村の逗留した1766年は赤穂浪士の討ち入りよりも64年後になります。
ご同業の芭蕉の没後72年経っています。
絵画のご同業円山応挙の全盛期でもあり、同時期の錦絵師、鈴木春信の影響などは受けなかったのかどうか興味が湧きます。
もしかしたら柄井川柳の「柳多留」がその前年のことですから、川柳の影響は受けていなかったのでしょうか。
案外地下水脈は通っていたりすると面白いですね。

ぶちょうほう様、蕪村というと私も有名な句をいくつか知っているだけの存在でしたが、どこかで蕪村の絵を見た記憶があります。去年、金比羅さん(金刀比羅宮)の遷座祭に際して奥書院が公開されました。このときに応挙の遊虎図http://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/12/index.htmも見てきました。ブログにも2004年の12月の載せてあります。当時の文人たちはお互いにどんな刺激を受け合っていたのでしょうかね?私は日本史には(も?)疎くて、こういう想像力がなかなか湧かないのですが、いろいろご教示いただければ幸いです。
検索したときにこのサイトがとても面白く感じました。http://www2s.biglobe.ne.jp/~yukiya-s/home-2/yosa.htm

香川県に、岡山県の家紋があるってちょっと不思議な感じでした。
備前蝶は、別名「鎧蝶」で、揚羽蝶紋とは違う由来を持つモノなんです。揚羽蝶紋=桓武平氏なんですが、コレは源氏の流れを組むものだそうです。
備前の冠するようになったのは、岡山藩の殿様、池田氏が、「鎧蝶」を用いてたからだと思います。
蛇足でした。

そうでした。アッキ~さんは家紋に詳しいのでしたね。
それにしても日本の家紋ってデザイン的にものすごく洒落てますよね。アゲハチョウを紋にするという発想が素晴らしいですね。
お寺など格式のある建物は瓦にも家紋が入るのですね。そういえば金比羅さんの建物の瓦の紋は〇の中に金なんですよ。つまり丸金なんです。
この妙法寺は香川には珍しく天台宗のお寺で、普通、香川は浄土真宗、法華、真言宗のどれかなんです。また妙法寺の縁側に入った掃きだし窓は講師が入っていて京都風だと思いました。

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