瀬戸内の島歩き、その5、粟島海洋記念館
島で唯一の綺麗な車道ですが、走る車とて滅多になくて、のんびりと歩いているうちに、城山に登るときに立ち寄ったルポール粟島へと再びやってきました。
しかし、車道に面して建っているこの建物は、旧粟島海員学校、今は粟島海洋記念館となっているようです。
熱心に撮影されているのは野草友達のRさんです。
粟島海員学校は明治30年の創立だそうで、日本最初の海員養成学校だとか。
塩飽水軍の流れを受けて、瀬戸内の島々には優秀な船乗りが多かったそうで、この粟島海員学校も、世界の海に優秀な船乗りを輩出したようですが、時代の波には逆らえず、昭和62年に廃校になったそうです。
たぶん私の同級生の中にも、粟島海員学校に進んだ人がいるのではないかと思います。
敷地内の歩道に敷き詰められた石は、かつての生徒たちが高見島の石を集めて、敷き詰めたそうです。
高見島には去年行っているので、そんな話を聞くと、撮影せずにはおれませんでした。
窓から射し込む光の強さが、春の近さを物語ります。
粟島港をやり過ごして、今度は港から東の方角に歩いていきます。
車道は相変わらず海沿いにつけられていますが、先ほどまでと違い、海の反対側が直ぐ山になっています。
その法面に、ここでもシマカンギクが元気に咲いていました。
寒の最中に島で咲いているのですから、これぞ正真正銘の島寒菊ですね。
浜辺を車道から見下ろすと、なぜか木立アロエの花が見えました。
誰かがその辺りに捨てた株が根付いたのかもしれません。
アロエは丈夫な植物ですから。
黒い豆がツヤツヤして綺麗です。
オキザリス・ボウィーというカタバミの仲間も道端にはまだ咲いています。
園芸種ですが、逃げ出したものが各地で野草化しています。
しかし、本来は秋の花で、我が家にもありますが、花はとっくに終わりました。
やはり島の暖かさがよくわかります。
島以外では咲いていても精々2~3輪ですから、これも島の暖かさがわかります。
風下に立っていると、良い香りが風に運ばれて離れていても良く香りました。
レンズを望遠に替えたついでに、先ほどから見えていた天霧山方面を望遠レンズで撮ります。あの稜線は私にとっては故郷の山とも言うべき稜線です。
高校時代に、仲間と泳ぎに来ていた浜辺です。
中央に鳥居が見えています。
重機類が置いてあるのは冬場だからでしょうか。
それとも夏場もここで泳ぐ人は少なくなったのかもしれません。
ここは細い砂州になっている場所で、この浜辺から北に50mも歩けば、反対側の浜辺に出るのです。
機関車先生や寅さんの映画のロケ地になった場所です。
設定を間違ったので色がおかしいですが、見えている山が紫谷山方面です。
この辺りから、「あの山に登れそうかな」という話が出てきました。
このときの時間が14時56分。
帰りの船を17時5分のに変更したおかげで、時間はまだ二時間ほどあります。
道端には城山で見たのとは実のつき具合が全然違う、クロガネモチが見えました。
車道をショートカットするように昔からの細い道がついているので、上がってみると水仙が咲き乱れていました。
紫谷山方面には、途中までミカン畑を登るのが登り易いだろうということになりました。
畑があるということは道があるということですから。
民家が3~4軒立ち並んだ細い道を上がっていくと、麓から見えたミカン畑に出ました。
ここで標高は50mほどでしょうか。
粟島海洋記念館は昔懐かしい木造の校舎ですね。
当時からペパーミントグリーンの鮮やかなペンキで塗装されていたのでしょうかね?
いつまでも大切に保存していってほしいです。
投稿: アコモ | 2010-02-19 18:46
アコモさん、こんばんは。
粟島海洋記念館は、私などが高校生だった頃は、まだ粟島海員学校と言って
船乗りを養成する学校でした。
粟島には毎年のように泳ぎに来ていましたが、海水浴場が港を下りて海員学校とは
反対側に歩いたところにあったので、当時は見ていません。
でも、今、検索しましたら、海員学校当時の絵が描かれたのがありました。
この画像と同じペパーミントグリーンですよ。
http://www.geocities.jp/monimoni403_4/awa3.html
海の色に因んだ色を塗ったのでしょうね、きっと。
投稿: keitann | 2010-02-19 23:31