上阪の機会を利用して比叡山へ、その2、日吉神社から三宮宮、牛尾宮へ
駅から西へと登っている道を歩いていて、ふと上を見上げるとこんな光景が見えました。
小高い山の上のほうに 何やらお堂のような建物が見えているではありませんか。
あれが八王子山の上に建っているという日吉神社の奥の院である三宮宮と牛尾宮のようですね。
私が行こうとしている道は、まずは八王子山方面を目指しますから、奥の院にはお参りして行かなくちゃ・・・。
比叡山方面に向かって道はまっすぐ広い道がついていますが、それは車道で、私は水路沿いの歩きに最適な道を歩いています。
↑アカソかコアカソのような葉っぱが見えていますが、何やら濃いピンクの花が・・・・
よく見ると、な~~んだ、園芸種のサクラソウのマラコイデスのようです。
こんな場所で咲いていると、まるで野草みたいに見えますね。
水路沿いの石積には今が盛りのユキノシタが咲いています。
やがて道は左と右に別れ、左に行くとロープウエイ駅のようです。
日吉東照宮なんていうのもあるんですね。
私が行くのは日吉神社の東本宮ですから、ここを右に行きます。
日吉神社の入り口にこんな絵図がありました。
それによると現在地は東本宮の受付すぐそばで牛尾宮には東本宮からが近いようです。
それでは東本宮にお参りするとしましょう。
それにしても大きな神社で驚きました。
黒い車が停まっているすぐ横の建物が受付で、ここで300円の協力金?拝観料?を納めます。
受付からまっすぐ歩くと、門が見えてきました。
門には東本宮と書かれた提灯が吊られています。
東本宮のすぐ近くにあった樹下宮という建物で、重要文化財だそうです。
また撮影はしませんでしたが、東本宮の本殿は国宝ということです。
さらに、ここ日吉大社は全国に3800ある山王神社、日吉神社、日枝神社などの総本宮なのだそうです。
説明文に使われている飾り金具のことが書いてあったので、撮影しました。
美しい金具ですね。
お参りした後、孫用にお守りを買い求めたら、いよいよ山歩きにかかります。
東本宮近くのこの石段から八王子山に向かうようです。
石段を登りきると、その後は普通に参道になっています。
が、この参道が勾配がきつくて、堪えました。
この日は気温が低く、風も冷たかったので良かったですが、暑い日なら途中でばてていたかもしれません。
登っていく道沿いに大きなマルミノヤマゴボウ生えていました。
これは確か有毒植物でシカが食べないので、四国の山でも残っています。
少し登ると琵琶湖が見えてきて、近江富士らしき姿も見えています。
そして、この姿は伊吹山でしょうか?
参道の登りは急勾配ですが、途中、水だけ持った若い女性が追い抜いていき、また下ってくる人ともすれ違いました。
牛尾宮までは来られる方が結構いらっしゃるようです。
ようやく参道の傾斜が緩やかになってきました。
あらまぁ、マルミノヤマゴボウのずいぶんな大株ですね。
花芽が30ほども上がっています。
石段のとりつきにも大きなマルミノヤマゴボウ・・・
そして、山側のほうには小さなミミナグサが咲いていました。
山に来なければ、今では見られない、在来種のミミナグサです。
石段を登りきったところに、先ほど車道からちらっと見えた奥の院が見えてきました。
手前が三宮宮で奥が牛尾宮だそうです。
険しい場所に建っているせいか、なぜか投げ入れ堂を思い出しました。
二つの建物の間を石段がついていますので、登って見ます。
振り返れば、琵琶湖・・・
説明板がありました。
桃山時代の建物なんですね。
↑これが説明にある軒唐破風のようです。
いろいろ調べると、山麓にある日吉大社はこの牛尾宮を遥拝するための神社だったとか・・・
なので、牛尾宮が本家本元ということかもしれません。
keitann様 こんにちは
牛尾神社は確かに投げ入れ堂を彷彿させるような建物ですね。
織田信長のあの焼き討ちが1571年のことで、無慈悲な(一説によると皆殺し)ことがなされたそうですが、それから24年後にもうこんな立派な建物を建てられるほどに勢力を盛り返していたのですね。
豊臣秀吉の治世のようですから、秀吉との関係は悪くはなかったのでしょうか。
山に登って、建物の中から琵琶湖が見えるなんて素敵なことですね。
昔のお坊さんもこうした眺めに接して気宇壮大になったのではないでしょうか。
投稿: ぶちょうほう | 2018-06-08 16:21
ぶちょうほう様、こんばんは。
実は今回、比叡山に登るまでは坂本の町のことも知らなかったし、日吉大社のことも
知りませんでした。日枝神社や山王神社というのはよく聞きますが、その元締めの
神社がここだということも初めて知りました。
京都トレイルを伏見稲荷から歩き始めた時も全国のお稲荷さんの総本山が伏見稲荷だという
ことを初めて知ったのですが、山登りをしているとその土地の歴史を知らず知らずのうちに
知ることになり、勉強になります。日吉大社は平安京と比叡山の守護神として人々に篤く
信仰されてきたようです。
私は初めて知りましたが、信長が比叡山を焼き討ちした時に、この日吉大社も焼き討ちに
遭ったそうですがその後秀吉がすぐに再建したそうです。
秀吉は幼名を日吉丸といったので、日吉大社に特別な思い入れがあったようです。
伊吹山に登った時は東から琵琶湖を眺めつつ登ったものですが、比叡山に登るときは西から
琵琶湖を眺めながら登ることになります。
琵琶湖が時折眺められるのは、素敵なことですね。
投稿: keitann | 2018-06-08 19:58