三泊四日で東京&信越の旅、その6、秋山郷へ
この回の記事は、書くのにとても時間がかかりました。
というのは、秋山郷というのは、昔良く登った苗場山にもゆかりの深い土地柄なのです。旅の途中では、登ったルートなどが思い出せず、帰宅してから、昔の地図を引っ張り出したりして確認をしていました。
さて、翌9日の朝は、私はなぜか朝早く目覚めてしまいました。
いつも自宅では仕事柄もあって、夜更かしすることが多いので、旅館などに泊まって早く寝すぎると、そのぶん早く目が覚めるようです。先輩がたはまだ眠っていましたが、そっと部屋を抜け出し、階下の温泉に向かいました。
最近、温泉に泊まると、夜は勿論、朝風呂に入るのも楽しみです。特に露天風呂は冷たい屋外の空気に触れながらお湯に浸かるので、のぼせにくくて気持ちよいです。
お風呂から出て部屋に帰ってくると、先輩たちも皆、お目覚めのようです。
朝食は7時半にしっかり食べて、8時にはバスに乗り込みました。
画像はこの日訪れた、秋山郷の小赤沢という集落で見かけた「牧之の道」という道標です。牧之というのは言うまでもなく、「北越雪譜」を著した鈴木牧之のことです。
実はこの旅に出る一週間ほど前に、学生時代に持っていた深田久弥の「日本百名山」の文庫本を読み返したくなって、実家に行って昔の本を置いてある書棚を見てきたのでした。ところが残念ながら「日本百名山」は見つからなかったのですが、「北越雪譜」の文庫本を見つけたのです。やはり学生時代に買って、あまり読んでなかったのですが、積読していたようです。
その直後に、「牧之の道」に出会うとはこれも何かの因縁でしょうか。
木島平からはまず、R117利用で津南に行き、津南からはR405で秋山郷に入ります。津南というのはすでに新潟なんですね。因みに秋山郷という地名は、苗場山に登るときに聞き覚えがあった地名だったのです。後に地図を見て、苗場山との位置関係を確認しました。
たまたまバスの後部座席に座ったものですから、後ろからバスの後をついてくる乗用車を撮影したものです。周囲はなかなか素敵な色に染まっています。
バスの中からなので、うまく撮影できませんが、こんな赤味を帯びた色もあります。
中津川に沿って、バスは走るのですが、一旦、信州側を走り、どこか橋を渡ると、また越後側に入るのだそうです。
途中、見玉不動というところで、バスを乗り換えます。そこから先は道が細いので、大型のバスが入らず、小型のバスに乗り換えるわけです。
9時40分ごろ、 小赤沢に着きました。小赤沢という地名は、やはり覚えがあって、学生時代に苗場山に登る際に通ったような気がします。
小赤沢には「とねんぼ」という秋山郷の総合センターがあって、そこでトイレをお借りしたのでした。
小赤沢から南西の方角に早くも雪のついた山が見えます。上のほうは見えませんが、この山が鳥甲山です。先輩のAさんはこの鳥甲に登っているそうです。鳥甲山の標高は2037m。また私が三度登っている苗場山は小赤沢の丁度東側になるのですが、ガスっていて、ほとんど見ることができませんでした。
苗場山のほうは標高2145m。昔はスキーで有名な山でしたが、今はどうなのでしょうか。
苗場山といえば、一番最初に登ったのが、一年の10月のことです。このときは一年生山行と言って、一年だけで計画を立てて、私たちの同期のものは当時20名近くいたので、3パーティーに分かれて、それぞれ、違うコースで登ったような記憶があります。昔のアルパインガイドや苗場山の5万図などもあるので、調べると、どうやら越後湯沢で下りてバスで祓川に行き、和田小屋経由で登り、赤湯に下ったようです。このときは、山頂にテントを張ったのですが、ものすごい星空で、流れ星がびゅんびゅん飛んでいたこと、一年生だけの気安さでテントで酔っ払った男の子が、地糖に落っこちたことしか憶えていません。写真もこのときは誰もカメラを持っていかなったか、一枚もありません。
この同じコースを二年のときは、寮時代の友人のYさんと一緒に登っています。
古いアルバムに貼った、二年のとき苗場山に登った際の写真です。
このときも恐らく祓川から登ったのですが、同行のYさんは山登りをあまりしたことがなかった友達で、はっきりした記憶がないのですが、山頂まで行けなかったかもしれません。
大きなキスリングを背負った私・・。背後の山が苗場のピークでしょうね。
山から拾ってきたモミジの葉っぱまで貼り付けて、若かったというか・・。
これを見ると、どこから登ってどこへ下ったのか一目瞭然です。
3年の時には、苗場~小松原湿原というコースを歩いているようです。このときのリーダーは同期のN君でした。もう一人、今では私の親友、Iさんの旦那様になっているM君もこの山行では一緒でした。
考えてみたら、一年の最初の新人養成山行でN君と同じパーティーだったものの、それ以後、不思議と同じパーティーで登ったことがなく、この苗場~小松原湿原というのはN君と登った数少ない山行の一つでした。それなのに、この山行で憶えていることといったらM君が「ミョウガが好きなんだけど、ミョウガを食べ過ぎると馬鹿になるんだって」なんて、どうでもいいことをしゃべってたぐらいの記憶しかないのですね。昔は一体、何を考えながら山に登っていたのやら・・・(^_^;N君はいつも寡黙な人でしたから、要所で「ぼそり」としゃべるような人でした。
それがN君は、思いがけず2004年に病気で急死してしまったのです。すでに4年半の歳月が流れました。
このときは祓川から入って、小松原湿原経由で、見玉に下っているようです。見玉といえば、バスを乗り換えた場所ですが、昔の記憶って、写真でもない限り、曖昧な記憶ばかりですね。特に下山のときは、疲れていることもあり、どこからどう下ってきたのかさえ、忘れていることが多いです。記事を書きながら、いろいろな思い出がないまぜになってしまい、自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきました。
N君の思い出の記事はこちらに記しています。
今も持っている、昔のアルパインガイドです。アルパインガイドはいくつか持っていますが、私たちの同好会は好んで上越国境の山々を歩いたので、このガイドブックが一番使い込まれています。
アルパインガイドの奥付です。なんと当時は280円でこれが買えたのですね。
さて、今秋の旅に返って、「とねんぼ」で買ってきた秋山郷周辺の山の地図です。
300円だったでしょうか。
鳥甲山や佐武流山などのコースも入っています。
因みに「とねんぼ」という言葉もなかなか趣き深い秋山郷の方言なのだそうです。興味がおありの方はどうぞ検索なさってください。
「とねんぼ」の中ではまだ昼間だというのに、早くもストーブが焚かれています。
この旅ではほとんど咲いている花を切ることはなかったのですが、小赤沢では唯一、ノコンギクが咲き残っていました。
このお堂の向こうに「牧之の道」が延びています。
山肌はなんとも渋い紅葉です。
小赤沢からほんの2kmも後戻りすると、そこは大赤沢の集落です。
大赤沢では蛇淵の滝を見るようです。
滝へ向かう人たちです。
向こうの山肌もなんともいえない色ですね。
田んぼはもう稲刈りも終わって、あと少しで、雪が降る季節なのでしょう。
この辺りは豪雪地帯なので、2mほども積もるのではないでしょうか。
ここだけということは植栽されているのかもしれません。
でも、バスからは時折、白樺林が見えていましたから、この付近では珍しくはないのでしょうね。
これも道の傍らで見かけたゲンノショウコだとばかり思っていましたが、もしかすると、何かフウロソウの仲間かもしれません。
葉っぱの確認を忘れてしまいました。
こんにちは。
楽しい旅が続いていますね。
朝早く温泉につかるのは私も大好きですよ。湯ざめなどされないようにお気を付け下さい。
投稿: 多摩NTの住人 | 2008-11-24 17:14
多摩NTの住人様、こんばんは。
早朝の温泉、人が少なくて、気持ち良いですよね。
自宅ではなかなか朝風呂とはいかないので、せめて旅に出たときには、朝風呂に浸かります。
低血圧気味なので、体もしゃんとしていいみたいですよ。
投稿: keitann | 2008-11-25 00:42