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2008-11-16

三泊四日で東京&信越の旅、その3、浅間山が見えた

バス旅行の集合は翌朝8時に京王プラザホテルの正面玄関となっていました。

ホテルで7時に起床したあと、お化粧しようとしたらファウンデーションや乳液まで忘れていることに気付きました。山登りの時は忘れものが命取りになりかねないので、気をつけますが、普通の旅行となると途端に忘れものばかりしています。実際、旅行だと、極端な話、財布やカードを忘れさえしなければ、今の時代は困りません。

ホテルをチエックアウトして、途中のコンビニでファウンデーションなどを調達して、京王プラザに向かいます。京王プラザの周囲にはバスが何台も並んでいて、どのバスなのかもさっぱりわかりません。バスハイクやバス旅行というのに、あまり参加したことがないので、戸惑うことが多いです。先輩がファックスで送ってくれた日程表に連絡先の携帯電話番号が書いてあって、そこに二度も電話してようやく集合場所がわかりました。

Pb083876

画像はこの日、思いがけず眺めることができた浅間山の姿です。

さて、集合場所には私と同期の山仲間横浜のIさんと二つ先輩の千葉のOさんの姿が見えました。二人に会うのは3年ぶりです。少し経って、一つ上の先輩のHさんとAさんがやってきました。新宿からバスに乗り込むのは私を含めて5人です。3年ぶりの再会を喜び合って、バスの後部座席へと乗り込みます。6名という大所帯のグループは私たちだけのようで、そのせいか座席は後ろのほうに割り当てられていました。

新宿を出るとバスは池袋に向かいます。ここで最終の乗客を乗せるのですが、静岡在住の先輩のKさんが始発の新幹線に乗っても新宿8時には間に合わないので、池袋で8時半に乗り込むことになっています。無事にKさんも乗り込み、これですべてのメンバーが揃いました。

Pb083819 バスは一路関越自動車道を走ります。

実を言うと、私は関越自動車道を走るのは初めてで、この日はバスからの眺めを楽しみにしていました。

学生時代の山登りはいつも前夜に新宿や上野発の夜行列車で出発するので、眺めを楽しんだことはありませんでした。帰りも大抵は夕方なので、車窓の風景を楽しむ余裕もなく、大半は寝ていたのではないでしょうか。

Pb083827 自分で運転してないのと、この日は地図を持ってなかったのとで、見えている山がよくわからないのが残念です。

Pb083835 藤岡ジャンクションでバスは上信越自動車道に入ります。

製糸の町富岡を過ぎるとやがて、左側に特異な形の山が見えてきました。

これが名前だけは知っていた妙義山だそうです。

バスから見るだけでも、ごつごつとした山容は非常に目を引き、この山だけは見間違うことはなさそうです。

Pb083853 望遠レンズで引き寄せた画像ですが、いたるところに岩がごつごつと出っ張っています。

それにしても、学生時代、妙義山に登るという話はあまり出なかったように思います。

でも、検索してみるとちゃんと登山ルートもあるようですね。

Pb083856 紅葉し始めた山の中を通っている自動車道・・。

この付近はなかなか渋い紅葉でした。

Pb083869 やがて、煙を吐く浅間山の姿が見えてきました。

浅間山の姿は昔の山登りでも、あまり記憶に残っていません。

私以外の同期の仲間たちは、1年の頃に、よく浅間山に登っていましたが、私は都合が悪かったのか、登ってないのです。この翌年1973年に噴煙を始めた浅間山には登山禁止になったようです。今も禁止のままでなんでしょうね。これだけ噴煙が上がっているのですから・・。あのとき登っていれば良かったと、今になって後悔しています。

Pb083878 お昼ごはんは佐久インターを下りてすぐの「おぎのや」というところで、釜めしを食べます。

佐久は標高がどのぐらいなのか、知りませんが、この日は東京を出る時からすでにかなり寒くて、信州はもちろんそれにもまして寒く、先輩たちはみなさん防寒用のコートを着用しています。私はといえば、前日と同じブレザーですが、かなり寒さを感じたのは事実です。

釜めしといえば、横川駅の「峠の釜めし」は、昔から有名ですが、横川駅を通ったことはたぶん一度しかなくて、大学二年の時に富山から北アルプスに入ったことがあって、おそらくこのときだけです。

このとき、峠の釜めしを買ったのだったかどうだったか・・。山に行く時はいつも上野か新宿を夜に発っていましたから、碓氷峠辺りは真夜中に通過だったのでしょうし・・。

話は戻り、この「おぎのや」で食べた釜めしが元祖「峠の釜めし」だったとは、たった今、検索して初めて知りました。食べた時は「峠の釜めし」の真似をして作ってあるものだとばかり思っていました。そうと知っていたら、よく味わって食べたのに・・・(殴)

この画像にもちゃんと「横川駅」と釜の横に書いてありますね。

味付けも良く、この地方の特産のアンズや栗の乗っかっている、とても美味しい釜めしでした。さすがに駅弁でも人気を誇るだけあります。

Pb083880 おぎのやで釜めしを食べている間、広い窓から見えていた浅間山方面です。

向かって右が浅間山、左に前掛山、黒斑山と続くようです。

釜めしをいただいた後で、テントで美味しそうなリンゴが売られていて、私は早くもここでリンゴを買ってしまいました。

Pb083882

バスの窓からは高原野菜の畑が見えます。

このあたりはたぶん、冷涼な気候を利用してキャベツや白菜などを栽培しているところだと思うのですが、冬に向かう今の季節はさすがに何も植え付けされてないようです。

土の色が四国とはまったく違いますね。

Pb083884 高速から見える山なみを何気なく撮影したものですが、なだらかな山すそが見えているのは美ヶ原だったようです。

山に登っていたくせに、どうも夜行利用ばかりだったからか、車道からの山の姿はさっぱり苦手です。

この先、バスは松川渓谷へと向かうようで、高速を信州中野インターで下ります。

コメント

こんにちは。
東京にお越しになっていたんですね。新宿はいつも見ている風景です。
関越道や上信越道もよく走っていますよ。妙義山や浅間山が見られて良かったですね。浅間山は東京の高いビルからなら、見ることができるんですよ。

こんばんは
実家が軽井沢の少し先にありいつもこの道を車で通っていましたので
説明がよく分かります。
昔浅間山は遠足で登りましたが今は残念です。
電車で実家に帰るときは横川駅の峠の釜めしを買って食べました。
今でも容器のお釜があります。
妙義も裏と表があり表妙義に登ったことがあります。
信越の旅を楽しんでください。

多摩NTの住人様、こんばんは。
そうなんです。ちょうど三年ぶりの上京でした。

ここのところ、遠出はなるべく山優先にしているので、普通に友人たちと会うための上京というのは
少なくなってしまいました。以前は年に一度ぐらいは上京していたんですけど・・。
関越道や上信越道もいつも車で走ってらっしゃるんですね。それなら、登山にチャレンジなさるのも
時間の問題なのでは?
私も松本辺りまでは車で来ているので、少し足を延ばせば越後にも来れるな~なんて思いました。
越後湯沢から近い巻機山には同好会の山小屋もあるので、そこに泊まれば、その付近の山にも
登れそうです。
浅間山まで東京から見えるのですか?
では次回の上京の時には、高層ビルから眺めるとしましょうか。

komakusaさん、こんばんは。
ご実家が軽井沢のお近くだったんですね。それでは、山にも小さい頃からなじまれているはずですね。

浅間山は一年の時に、同期のものたちだけで登っていたようで、このときに同行した同期のもう一人の
女性は登っています。私はなぜ登らなかったのか、ちょっと記憶が定かでないのですが、遠足で登る山という
ことで、割合、気軽に登れる山だったのかもしれませんね。
そういえば、横川の釜めしの容器のお釜を私もしばらく下宿に取っておいたのを、今、思い出しました。
とすると、やっぱり、釜めしを買っていたようです。
昔の記憶はいつも断片的にしか覚えてなくて、ときどき、「ああ、そうだった」と思いだすこともしばしば・・。
妙義には裏表があるんですね。
八ヶ岳には北八つと南八つがあるようなものでしょうか。

keitanさん、お邪魔します。
佐久へいらしたんですね。「峠の釜めし」が登場しましたので一言書きたくなりました。
「おぎのや」は釜めしが有名ですが、私は「玄米弁当」のファンだったのです。
長野新幹線が出来ていない頃、軽井沢駅での短い停車時間に駅弁を買うのですが(私の行き先は小諸でした)、山と積まれた釜めしの片隅に、玄米弁当が数個ありました。若者には物足りないけど、自然食志向者にはぴったりでした。長方形の折りの3/4位が玄米ご飯、1/4位にがんもどきと椎茸の含め煮などが入っていました。玄米の食べ方等をが書いた栞があり、確か40回(80回?)咬めとかありましたが、半分にも達しないうちに口のなかで無くなってしまいます。
新幹線になって、ホームでの駅弁売りが無くなり、玄米弁当にはお目にかからなくなりました。数年前に車で行く機会があって、サービスエリアに「おぎのや」のお店を見つけましたが、玄米弁当はありませんでした。お店の方に尋ねると、一般道の「おぎのや」では売っているとのことでした。機会があったら立ち寄ろうと思っています。

Irisさん、こんにちは。

佐久といえば、八ヶ岳が近いかな~というぐらいで、山登りをしてたものとしては、あまりにも知らなさすぎる土地です。
一つ上の先輩に佐久出身の先輩がいらして、今も、郷土の佐久で高校の先生をされていると伺いました。

昔は「峠の釜めし」にしても富山の「ますのすし」にしても、今みたいなグルメ全盛の時代ではなかったので、ご当地の駅弁というのが人気でしたね。私も、昔から美味しいものが好きで、森のイカ飯とか、そのたぐいのものは行く機会があれば食べていました。駅弁は列車の中や駅のホームで買うものとばかり思い込んでいたので、ドライブインで食べられるとは夢いも思わず、このときもとても美味しかったので、お土産に1個か2個買えば良かったなんて、思ってるぐらいです。
「玄米弁当」というのもあるんですね。
検索してみましたら、シンプルで昔の食事を思わせるお弁当でした。因みに、こちらの田舎のほうでは、お葬式ができると地区の人が総出で、弔問客をもてなすために、精進料理のお昼ごはんを作るのですが、ご飯はさすがに白米ですが、おかずはこんな感じですよ。確かに魚介類や揚げ物などが入ってないので、食べざかりの人には物足りないかも知れませんけど・・。玄米といえば、私の母は玄米の愛好家で、かなり長い間玄米を食べていますが、そのせいかとても元気ですよ。そういう我が家もお米は一年分を農家から直接買い付けるので、いつも玄米を精米に行ってます。これを精米せずに、玄米のまま炊けば健康にはいいのだろうと思いながら、末っ子がお弁当を持っていくもので、実現していません。

つたないブログですが、またご覧になっていただけると嬉しいです。

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