愛媛の屋根付橋を見に行く、その1、大洲へ
大学時代に県人寮に入っていたので、同じ時期に寮で寝食を共にした親友が二人います。
そのうちの1人、Nさんが仙台から帰省してきました。ここ2,3年は彼女も帰省中にはなかなか時間が取れず、ゆっくり会うことも少なかったのですが、昨日は珍しく丸1日体が空いたそうで、愛媛まで二人でドライブして来ました。
行き先は私もいつか行って見たいと思っていた、大洲市の河辺町というところです。
↑画像は、川辺町に点在する屋根つき橋の中でも、恐らくいちばん古い橋だろうと思われるる「御幸の橋」です。
屋根つきの橋といえば、思い出すのは「マディソン郡の橋」で、私は原作は読んでいないのですが、数年前にたまたま自宅のCATVの映画専門チャンネルで深夜に見たことがあり、思わず涙してしまった映画です。
そのマディソン郡の橋とまったく同じ形態の屋根つきの橋が、愛媛の山中にあるということは、何年か前に、とあるHPで知ったのです。それ以来、いつか行ってみたいと思っていたのですが、つい10日ほど前に、実家近くの道の駅でポスターに「浪漫八橋」と書かれてあるのが目にとまったのです。ポスターには橋が点在するのは「河辺町」と書かれていました。これでようやく、橋の所在がわかったのでした。
そんな訳で、友人から2日に電話をもらったときも、ドライブの行き先は大洲が良いかなと直ぐに思いました。
大洲はこれも「伊予の小京都」と呼ばれる町で、春に司馬遼太郎の「街道を行く」の14巻「南伊予・西土佐の道」を読んだ後に、どうしても行ってみたくなって、主人と実家の母の3人で訪れました。
私の住む町の駅に、9時前に彼女を迎えに行き、そこからは私の車で高速に乗り大洲を目指します。
大洲にはお昼前には着いたので、先ずは油屋でお昼を食べます。
油屋というのは以前は油屋旅館といい、古い旅籠だったのをその面影を残しながら、今では食事のお店として蘇っています。初夏にも主人と母とお昼を食べた場所です。
「街道を行く」にも記されていますが、司馬さんが「街道を行く」を執筆する際に伊予から土佐に掛けて紀行されたときにも泊られた旅館で、文中にも油屋のことが詳しく書かれてあるので、是非、行ってみたい場所の1つでした。
油屋では撮影しそびれたので詳細はこちらをご覧ください。
水路の上に竹筒が置かれ、インパチェンスが植え込まれていて涼しそうでしたが、用土が少ないのかちょっと元気がないのが残念です。
通りに面した家々の軒下には様々な花が植栽されているのですが、中に野草のマルバルコウソウが見えました。
マルバルコウソウは帰化植物で、私の自宅近くの川べりにも以前はたくさん咲いていたものですが、最近見ていません。
尤も、今も咲いているのに、私がその川べりを歩いてないだけかもしれませんが・・。
数年前はまだ今ほど山歩きばかりしてなかったので、撮影する花もホシアサガオやマルバルコウソウなど平野部の花が多かったのでした。
恰幅の良いおじさんが、丸っこい指先で器用にバッタを作っていて驚いたものです。
昨日は生憎とおじさんはお昼ご飯中だったのか、姿をお見かけしませんでした。
屋内は撮影禁止になっています。
建築に際して構想に10年費やしたというだけあって、侘び寂びの感じられる名建築です。
臥龍山荘から眺めた肱川です。
右手前に橋がかかっていますが、これは沈下橋(と言っても手すりの簡単なのがついてますが)なんですが、後ほどこれを渡る事になったのでした。
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