瀬戸内の佐柳(さなぎ)島へ、その1、多度津港から
里山をほんとはもう一座、歩いているのですが、私のブログはおおむね時系列順に記録することにしているので、今日から2~3回で佐柳島をアップしようと思います。
冬場になると普通車、ノーマルタイヤの私の車では、高山の登山口まで行くのも大変なので、この時期でないとなかなか歩けない島歩きを1冬に1~2度楽しむことにしています。
西のほうの島は、伊吹島、粟島、高見島、志々島とほぼ歩いたのですが、後一つ、高見島の北側にある佐柳島にはまだ行っていません。去年も行きたかったのですが、行きそびれ、今年は何とか行きたいと思っていました。
そんな中、爺神山に登ったとき、高校時代のバレー部仲間に「今年は佐柳島に行くつもり」と話したら、仲間の一人に「私も行きたいから、行くときには誘って」と頼まれたのです。
携帯電話やメールで何度かやり取りして、2人の都合やお天気なども考慮し、1月16日に佐柳島行きを決行することにしました。
島に行くときは何より船の便をよく見て、計画するのが大事です。
佐柳島には多度津港から一日4便が出ていますが、午前中の便で行くと、5~6時間を島で過ごすことになり、何もない島で5~6時間過ごすのはどうだろう?ということになり、結局、今回は下見ということで14時発の船に乗り、向こうを17時10分の船で帰ることにしました。
↑は多度津港を出港する前の船です。小さいですが一応フェリーになっています。
13時45分に多度津港で友人と待ち合わせたのですが、早く着いた友人が、私の分の切符も買ってくれていました。多度津~佐柳間の船の時刻表はこちらです。運賃は多度津~佐柳本浦港が660円です。佐柳島には本浦港と長崎港の二つがあって、本浦港のほうが早く着きます。
多度津港からこの航路に乗るのはこれが二度めで、前回は2009年1月の高見島行きですから、ちょうど5年ぶりのことです。
船が定刻通り14時に出ると、直ぐに見えるのは、造船中の大きな船です。この5年の間に造船景気はかなり回復したようですね。
そして、前回、高見島に行ったときは船には島のお婆さんたちが多度津から帰る姿しか見られなかったのが、今回は私たち同様リュックを背負った半分観光みたいな方の姿も少し見受けられたのです。この5年間で瀬戸内芸術祭が2度開催されたりで、瀬戸内の島に対する関心も少しは高まったような気がします。
同行の友人のお父さんは50年以上も前の話ですが、島の駐在所勤務をされていたそうで、友人も3歳の頃、島で住んでいたとか・・。それ以来初めての島への訪問なのだそう・・・・。
高見島は私が普段、車で移動する折も良く見える島で、馴染みも深いのですが、佐柳島は高見島よりも沖合にあるので、四国側からはほとんど見えません。島の形やどんな格好をしているのかも、わかりません。
船の窓から、早くも高見島の姿が見えてきました。
オレンジ色の浮き輪の上に見えているのが高見島です。この島は全島が山みたいな島で、標高300m近い龍王山があって、前回はその龍王山に登ったのです。
↑まさに山がそのまま島になったという感じでしょう?
西に目を向けると、そこには荘内半島や粟島が見えています。
見る間に、多度津港が遠ざかって行きます。
東には瀬戸大橋が見えてますね。
↑こちらは広島です。
広島の王頭山にも登ってみたいと思いながらまだ果たせていません。
コンデジで撮影中の友人です。
帰ったら、お母さんに見せてあげるのだとか。お母さんも20代の頃に住んだ島ですから、さぞ懐かしいでしょうね。お父さんは残念ながら2年前に亡くなられたのです。
だんだん沖合に出てくると、飯野山も見えてきました。
高見島には14時25分に到着しましたが、佐柳島にはこれからまだ25分かかります。
フェリーは小さい船なので、乗組員の方もてきぱきと仕事をこなされ、あっという間についてあっという間に出航です。
船は高見島からは北西に進路を取ります。
荘内半島基部の山々の後ろに阿讃山脈が東西に連なり、その後ろに徳島の山が見えてきました。位置から考えると国見山??
↑やがて進行方向に佐柳島が見えてきました。
いちばん向こうに見えているのは福山方面の山ですね。
↑高見島を北側から見たのは初めてかも・・・。
平野部がほとんどありませんね。
いちばん感激したのは、私のホームグラウンドの山ともいえる、天霧山から弥谷山、黒戸山にかけてが、すごく風格のある姿で見えたことでした。
標高は500m足らずと低いですが、個人的には天霧山塊と呼びたいほど、三豊側から眺めても丸亀から眺めても、そして、海からも見事な眺めだと思います。
大麻山はこちらから見ると、鋭角的な山容に見えますね。
14時47分、船が佐柳島に着船する準備を始めました。
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