龍馬脱藩の道から蟠蛇森へ、その2、朽木峠で龍馬を偲ぶ
やがて、車道から分かれて山道への入口に差し掛かりました。
どうやらここからが旧道のようです。
↑ここからは山道らしい道となります。
時刻は9時51分です。
↑道標には旧葉山とありますが、葉山と言う地名は四国カルストを訪れる際に見た覚えがあります。
今は合併して津野町になっているようですね。
道ばたにはまだアザミが咲いています。
約150年前に龍馬が歩いた道を私たちも歩きます。
歴史の感じられる道を歩くのは良いものですね。
龍馬が歩いたのは3月24日だそうですが、私たちが歩いた日は体感的には丁度その頃のような気候かもしれません。
道ばたに白い花が咲いていたのでよく見るとウシハコベでした。
これも春の花です。
いつの間にか道は植林の林の中を通りますが、150年前には杉の林はあったのでしょうか?
高知は昔から杉林が有名だそうですが・・・。
陽射しの強い日なので、杉林の中でも木漏れ日が射しています。
10時丁度に、いったん、林道に出てきました。
そのまま林道を突っ切って、進みます。
道標によると蟠蛇森まで2.1kmです。
旧街道の雰囲気を残していると言えば、そんな気がしないでもないかな?
この地で生まれ育った佐竹さんと言う方が建てたらしい石碑?
全国各地に龍馬は足跡を残していますね。
旧街道に佇むPさん・・・
やがて行く手が明るくなって、どうやら峠の気配が感じられるようになりました。
この日はEさんがほぼトップを歩いてくれました。
↑朽木峠に着いたらしく、門のようなものに何やら関所と書いてありますが・・・・
え?葉山藩なんてあったかしらん?関所があったなんて初耳と思ったら・・・
これは地元の方が面白くしようと思い建てられたとか・・・
実際は関所があったわけではないようです。
とはいえ、龍馬はあの関所の門の向こうの方角に歩いたわけです。
↑カメラの設定を失敗したので、↑画像はネット上からお借りしました。
↑2009年に大洲市河辺で見た龍馬とそれを助けた沢村惣之丞、そして那須俊平の3人の像です。
こんないでたちで朽木峠を越えたのでしょうか。
いつの日か、時間が出来たら脱藩の道も歩き通してみたい気がします。
峠には展望台もあって、男性陣3人がまず登られました。
展望台の前にはこんな文が・・・。
ユーモアのある文章ですね。
これでは6人で登るわけにはいかないので、女性陣は後から登ります。
展望台の上からは風車のある鶴松が森、そしてその向こうの高い山は不入山だそうです。
石鎚も来たのほうに微かに見えると説明にはありましたが、この日は鳥形山がみえていました。
下りも慎重に下ります。
ここから先は蟠蛇森の登山道を歩くことになりますが、ツルリンドウがまだこの前まで咲いていたようです。
今年は暖かいので、秋の花もいつまでも咲いていたようです。
道は完全に山道の様相を呈してきました。
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