忘年登山で荘内半島を歩く、その6、全員で半島突端に立った後、バスに無事間に合った
今度の稜線歩きはほぼウバメガシの樹林歩きで、ジグザグに道らしきものもついているようで、糸ノ越に登る尾根よりもずっと歩きやすい道でした。
ただし急登には違いなく、皆、汗を流しながらの登りとなりました。
そろそろ山頂と思われたとき、上でエントツ山さんとMさんが立ち止まってしきりに兄化を確認されているようです。てっきり、三角点があったのかなと思って近づくと、それは三角点ではなくて意外なものでした。
↑まず見えたのは飛行機の機体の一部のようなものでした。
時刻は13時2分です。
そして、そのすぐ傍には「殉難の碑」と書かれた石碑が建っています。
まるでミニ御巣鷹山のよう・・・と感じました。
石碑の裏に回ると、昭和38年にこの地で殉職された10人の自衛隊の方の名前が彫られていました。1年半前に荘内半島を縦走されたエントツ山さんが見つけられ、その後いろいろ調べられても記録が余りなかったのだそうですが、わかっていることは昭和38年の豪雪の折に救援に行っていたヘリコプターがこの地で墜落したとか・・。
ネットでいろいろ調べても、その事故の詳細はわかりませんでした。
当時、私は小学生で荘内半島からそう遠くない場所で住んでいたのですが、知っている年配の方に聞いても、事故のことを憶えている方がいませんでした。何らかの情報操作があったんでしょうね。
人のあまり通らない稜線ルートを歩いたおかげで、意外な事実を知ることができました。
お目当ての三角点は石碑よりももっと北に進んだ場所にあるようで、スマホのGPSを頼りにどんどん進んでいきます。
↑途中で藪ツバキの花が落ちているのを見て、上を見上げると今季初の藪ツバキの花を見ることができました。11月末から咲いているなんて、今年は開花が早そうですね。
三等三角点「生里」は、いったん少しだけ下ったのちに少し登り返したところにありました。三角点到着は13時14分です。
藪ツバキを撮影するためにカメラに望遠レンズをつけていたため、三角点を皆の靴で囲んだ画像は撮りそびれてしまいました。
三角点通過後はそのまま稜線を下ります。
たぶん、立石展望所辺りにひょこり出るのでは?と思っていたら、案の定、13時28分に展望所の大岩のところへ下ってきました。
2013年に一人で歩いた際は、ここでお昼休憩を取り、のんびりと眺めを楽しんだのでした。
今日はバスの時間もあるので、ゆっくりはできません。
それにしても、最初はここでお昼休憩をしようかななどと思っていましたが、仁老浜出食べておいて良かったです。13時を過ぎるようでは、お腹が空いて、きっと三角点「生里」への登りが登れなかったに違いありません。・
以前来た時にも見えていましたが、この日も三崎神社の屋根が展望所から見えています。
あと一歩きですね。
展望所からはいったん「四国のみち」に出ます。
見覚えのある石の参道横を歩くと神社もすぐそこです。
3年前には下って見学してきた「関の浦」への分岐の道標がありましたが、実感の余裕がないので、この日はパスします。
昔は瀬戸内海を行き来する船がここで潮待ちをしたり水の補給をしたりしたそうで重要な場所だったんですね。
今は面影もほとんどなくて、ただ、井戸の跡があっただけでした。
関の浦に寄らない代わりに、3年前には訪れていない三崎神社へ行きます。
↑まずは鳥居をくぐりますが、神社は「四国のみち」から外れて建っています。
石段がかなり続くので、これが結構堪えます。
13時40分、やっとこさで神社本殿に到着。
お賽銭を入れてお参りを済ませると、エントツ山さんの先導で神社裏手に回り、そのまま林の中をどんどん下りました。
そうですよね、わざわざここから四国のみちに戻らなくとも尾根伝いに下ればそれがいちばん近いのです。
ということで13時47分、三崎灯台に下ってきました。
下っていると、両側に海が見え、半島の先端にどんどん近づいているのが実感できました。
灯台に着いても、なおも、下っていきます。
20m下は海というところまで下ってきました。
海をバックに立つエントツ山さん。
私も3年前に来た時は、この辺りまで下って止めました。
海に転落するとやばいですから・・・。
13時54分、皆で荘内半島の突端に立てたところで、記念撮影です。
後は灯台まで登り返し、のんびりとコーヒー休憩としました。
珍しく、エントツ山さんからもおやつの配給がありました。
ただし、人数計算を間違えたそうで、11人なのに10人分しか持ってこなかったそうですが(^_^;
バスの時間が気にはなりますが、焦っても仕方ないし、間に合わなければ3時29分のバスに乗ればよいと思い、気にせずにおしゃべりしながら帰り道を歩きます。
↑帰りはもちろん、「四国のみち」を歩きましたが、ナウマン象の化石がこの辺りの海から出てきたということが書かれています。
のんびりと歩いたつもりだったのに、仁老浜ノバス停に着いたのは乗りたいと思っていたバスの時刻の3分前でした。
時刻表をバス停で確かめて、思わぬ幸運に喜びます。
あと5分到着が遅ければ、30分以上もバスの待ち時間に費やすところでした。
定刻に着いたバスに乗り込むと、乗客はもちろん私たちだけです。
運転手さんも思いがけず大勢のお客さんが乗ってくれたので嬉しそうでした。
登山口近くの大浜のバス停に着いたのは15時9分でした。
車を置いてある三豊市役所の大浜支所までは歩いても5分もかかりません。
何とか無事に予定通りの時間に帰ってくることができました。
この後はふれあいパークみのまで帰り、各自の車で高瀬温泉へ。温泉で一日の汗を流したら17時前です。夜の忘年会のお店にはだいたい5時半ぐらいからと伝えてあったのですが、ちょうどその時間に着くことができました。
夜の部には、私の車は自宅に置いていったら、車の中にカメラもスマホも忘れて行ってしまい、夜の部の画像は一枚も撮影することなく終わりました。
今回は幹事として山行に参加するということで、全体の時間の流れやメンバーの体調なども気にしながらの歩きとなりましたが、それだけに程よい緊張感もあっていつもの歩きとは一味違うと感じました。
またエントツ山さんにガイド役をお願いしたおかげで、私たちだけでは中々歩けない稜線歩きもできたことを感謝しております。
keitann様 こんにちは
山の仲間がいると、いろいろ行事があるものですね。
忘年会の山行なんてこれも一つのジャンルですね。それを11月中にやっててしまうとは気合いが入っていますね。
ところでこの記事で最初の画を見て、機体の一部ではないかと思いましたが、やはり、ヘリコプターでしたか。
10人もの方が亡くなったとは痛ましいことでしたね。殉職扱いのようでしたが、遺族の方のことを思うと胸が締め付けられます。
こういうことに対して、情報の捜査なんてあってはならないことのように思います。
話がそれてしまいましたが、和気あいあいの山行を無事に終えられて、温泉に浸かって、夜の部に移行・・・・・まさにお大名さながらですね。
投稿: ぶちょうほう | 2016-12-19 12:03
ぶちょうほう様、こんばんは。
山の仲間とは行事というのは実は忘年会ぐらいのもので、あとは週に一度か
月に何度かの山行ばかりです。
今回は幹事をしていたので、ただ参加するだけでなく山行の計画から忘年会の
計画まで、いろいろ考えたりした準備があったので、そちらが大変でした。
11月にしてしまうのは12月になると、皆さん、ほかの計画や行事が入って
忙しいので11月に前倒ししているんですよ。
トップ画像の(たぶん)ジュラルミンか何かの破片については、私も一目見て
「これは」と思いました。
コースを案内してくださったエントツ山さんというメンバーの方が2015年の春に
歩かれたときは、花が手向けてあったそうです。なので、御巣鷹山のように、毎年
事故で亡くなられた方の縁のある方がお参りに着てらっしゃるのではないかという
ことでした。道理で事故現場までの道ははっきりとしていました。
しかし、荘内半島の突端の辺りは結構閉鎖的な集落とのことですが、そのような
大事故があったにしては地元の人が何も知らないというのがずいぶん変な話だと
思いました。ネットで調べても10人もの方が亡くなった事故だというのに、ほとんど
記録が出てこないのがおかしいですよね。
ちょっと胡散臭いものを感じました。
そうですね、山行の後は温泉に浸かって夜の飲み会です。
でも、山登りはほとんどお金はかかってなくて、夜の飲み会だけなので、許される
のでは?と思います。年に一度のお楽しみですから(^_^;
投稿: keitann | 2016-12-19 22:52