忘年登山で高松市街地の山をめぐる、その4、峰山では積石塚古墳
切通越にはお地蔵さまが祀られていて、いかにも昔からの峠道の雰囲気が残っています。
切通というと鎌倉が有名ですが、息子が住んでいた川崎辺りでも「これは切通だな」と思われるちょっとした峠を見かけたことがあります。峠道はロマンを誘いますね。
↑鎮座ましますお地蔵さまです。
地域の方たちがちゃんとお花もお供えしてありました。
そのお地蔵様のわきから登山道がついていて、ガイド役はもちろんEさんです。
立ち木に「峰山へ」という道標がつけられていますが、国土地理院には峰山という山の名前は書いてありません。これも高松の方たちが古くから言い慣わしてきた山の名前のようです。
登り始めは10時48分です。
上を見上げると、樹林が良い雰囲気ですね。
登山道の傍らには真っ白なリュウノウギクも咲いて・・・
最初はコンクリート舗装してある道を登っていきます。
道の傍らに今度はヤマラッキョウが咲いています。
市街地にある山ですが、自然が残っているといえば残っていますね。
ちょっと鬱蒼とした樹林の中を緩やかに登っていきます。
↑の画像は11時4分撮影ですが・・・・・
2分後の11時6分にはいきなり、こんな住宅街に出てきました。
そうです、峰山の山上は緩やかな台地状になっていて、古くから住宅が建っていたようです。
主人の妹夫婦も峰山の上に土地を買っていて、定年後は峰山に家を建てて住む予定だったのですが、結局、首都圏に今も住んでいます。
でも、知らない人が山だと思って登っていて、いきなり住宅地に出たらびっくりですよね。
その後は、完全に車道歩きとなります。
辺りは家が建っているところ、自然のままの樹林だったり、いろいろです。
ガードレール越しに先ほどまで登っていた浄願寺山や小山が見えています。
Eさんが車道を逸れて、何やら石積みのほうに歩いていきました。
これが古墳です。
ここ峰山には車道の傍らにいくつもの古墳が点在しているのです。
道路わきに見覚えのある木が果実をつけていました。
これはシナアブラギリですね。
やがて、車道の脇にお誂え向きに東屋があって、そこで休憩することになりました。
東屋からは駐車場ら気のが見えていて、車がいっぱいとまっています。
確か、峰山には公園もあったような?
それまで10分以上の休憩はなかったのですが、ここで初めてコーヒーを淹れて行動食というかおやつを食べることになりました。
私も重いので早速持参のイチゴを出し、皆もそれぞれ持参のお菓子を出したら、↑のようなすごいことに・・・もちろん、その場で食べきれないぶんは、各自、分け合ってザックに入れます。
いつも登っている仲間とは休憩ごとにお茶を飲んでお菓子や果物を食べるので、この日はずいぶんと食べる機会が少ないです。(^_^;
それでも、15分ほど休憩したでしょうか。
皆でわいわい言いながらコーヒーを飲み、行動食を頂くとほっとしますね。
東屋のすぐ傍にはこんな地図がありましたが、山の地図と違い、住宅地になっていると地理が難しいですね。
休憩後は、またもや古墳の見学です。
この辺りの古墳は石清尾山古墳群というようです。
直ぐ近くにあったのが石舟積古墳というものでした。
積石を登っていくと・・・
石棺がむき出しになっていました。
Eさんが男性用と女性用と言われていたような?
実をいうとこの石棺を見るのは小学生の時以来です。小4まで高松に住んでいた私は、小学校の低学年の時に、遠足で栗林公園とこの古墳を見に来たのでした。石棺の記憶が数十年前でもはっきりと残っていたということは、相当印象深かったんでしょうね。
副葬品などはとうの昔に盗掘されたそうですが・・・
その後も、鏡塚古墳や
いろいろな古墳をざっと見て回ります。
古墳の石積みの向うには瀬戸内海が見えていて、こんな眺めの良い場所に葬られて、古代人もある意味幸せですね。
別の方角を眺めると、こちらには住宅地が見えています。
峰山は古墳と住宅が点在している、ユニークな山とも言えます。
いくつか古墳を見学したら、いったん下るとのことです。
道のわきには今度はクチナシの果実が見えました。
栗きんとんの色付けなどに使う実です。
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