45年ぶりに苗場山へ、その7、いよいよ登山口へ、その前に宿を探す
翌4日の天気予報は居酒屋さんのTVでもチエックしましたが、その後もスマホの天気予報サイトなどでも何度か確認します。4日はスマホの目覚ましを5時にセットして、起きたらまずは天気予報のチエックです。すると、前日に出ていた予報よりも予報が良くなっていて、雨の心配はなさそうです。
雲りときどき晴れみたいな感じです。
ホテルのほうは前日に料金を精算してあったので、5時半にはチエックアウトします。
↑これは昔の苗場山の五万図です。
因みにこの地図は昭和45年発行のものですが、私が買い求めたのは昭和47年とかそこいらのことです。
この地図を引っ張り出してきたのは苗場山から帰ってきてからのことで、実際は新潟に行く3日ほど前に昭文社の「山と高原地図」を買ってきて登るルートを決めました。苗場山は昔から登山口がいくつもあって、私自身も登る都度に違う場所から登っていたのですが、今回は日帰りピストン出来そうなコースということで、小赤沢コースの3合目登山口というのを考えていました。3合目まで車で登れるそうで、往復で7時間程度かかるようです。
昔の地図を見るまでは、てっきりこのコースからも登っているだろうと思っていたのですが、実際は小赤沢コースは登っていませんでした。自分が歩いたコースには地図上に赤線でなぞっているので一目瞭然なのです。結果的に4度目の苗場山も違うコースから登れたようで良かったです。
学生時代に登っているのは祓川から登って赤湯へ下山とか祓川から登って小松原湿原に縦走し見玉へ下山というコースを歩いているようです。
↑苗場山には3度も登っているのに、写真が残っているのは県人寮時代に仲良くなった友人で当時津田塾に通っていたMさんと登った時の写真だけでした。Mさんは山岳部でもワンゲルでもなかったので、キャラバンシューズぐらいで登ったのではないかと思います。季節はやはり秋でしたが、落ちていたモミジの葉っぱなど拾ってきたのをアルバムに貼ったりしているのは、私にしては珍しいことでした。
この時は天気も今一つで山頂まで行ったのかどうか記憶がはっきりせず、Mさんにメールで尋ねたら、山頂でテントを張ったそうですから、ちゃんと登ったようです。これが写真中に93という数字があるので1973年つまり大学2年の時のようです。
最初に登ったのは大学1年のときでこれは20人近くいた一年生を3つのパーティーに分けていろいろな登山口から登り山頂で合流しテントを張るというものでした。この時は満点の星空で、いまだにそれ以上の星空を見たことがありません。酔っぱらった仲間の男の子が池塘に落っこちたなどという、馬鹿な思い出もありますが、皆、屈託のない1年生でした。
たぶん苗場には秋にばかり登っているのは、この時と同じ星空を見たいという願いを叶えたいというのがあるのだと思います。
大学3年の時には10月11日~13日の期間で苗場山~小松原湿原を歩いていて、これは会誌の記録にあるので間違いようがないです。この時のメンバーは同期の仲間のN君、M君でした。写真が一枚もないので、あまり記憶に残ってないのですが、寡黙なN君と比較的饒舌なM君とは良い取り合わせでした。
この時一緒に歩いたN君は2004年に50歳の若さで亡くなり、もう一人のM君は2004年に60歳で亡くなったのです。若い頃に苗場山を一緒に歩いた3人のうち、2人がもうこの世にいないなんて…そんなことも、秋に登るなら二人を偲んで苗場山にと思った理由だったのでしょうね。
大きいキスリングを重いとも思わず・・・・若かった・・・
さて、9月4日に話は戻りますが、ホテルを出てからすぐにコンビニで、まずは朝食用のサンドイッチも昼用のおにぎり、行動食、お茶、コーヒーなどを調達します。ナビの目的地には小赤沢登山口近くにある温泉を設定しますが、距離は60キロぐらいなのに到着時間が10時近くになっていて、びっくりしました。登山口の秋山郷辺りは道が細いので、所要時間が多めに設定されているようです。
↑最初は高速に乗りましたが、途中から国道117号利用です。
↑信号待ちの間に見えている山を撮りましたが、この時はさっぱりわかりません。
途中、もう一度コンビニに立ち寄り長野と新潟の道路地図を買おうとしたけど、最近は置いてないんですね、カーナビが普及していても、やはり自分がどこを走っているか、地図で見ないと私は不安なのですが・・・
この辺りを走っていると、千曲川沿いを走ることが多いようです。
この千曲川が、新潟を流れるころには信濃川という名に変わるとか?
とりあえず、新潟の津南まで行き、右折して国道405号に入ります。
秋山郷の入り口まで来たら↑のような案内図が出ていました。
まずは「とねんぼ」という秋山郷の観光案内所のような場所があるので、そこに行こうと考えました。
現在地は③の猿飛橋ですから、もう少し走らないといけません。
案内図の周辺にはよく見るとヤクシソウが咲いています。
これはナギナタコウジュでこれは四国の山ではまだ見てなくて、今年の初見でした。
ピンクのミゾソバは今年はたくさん見たけど、新潟のミゾソバも撮影しなくては・・・
この後、平家の茶屋というお土産物屋さんを通りがかったのですが、8時を過ぎてお店が開いていたので、お土産を買うついでに、小赤沢3合目の登山口までの車道は通行可能かどうか尋ねてみたところ、大丈夫とのことで、ほっとしました。
この頃は台風が次々に来ていたので、林道などは台風後は荒れていることがよくあるのです。
お店を少し行き過ぎたところに、サラシナショウマが咲いていたので、車を停めて撮影です。
↑国道405号はこんな感じで、徳島の山道と同じレベルですね。
離合できない場所もあるので、離四国の山道を常に走っていて良かったと思いました。
この後8時半ごろに、観光案内所の「とねんぼ」に着きました。
今から苗場山に登ること、下山してからこの近くに宿があれば紹介してほしい旨を話します。
すると、「とねんぼ」さんからすぐ近くにある民宿を紹介していただけました。これで、今夜の宿は確保できたので心配なく登れます。登山届を係の方に出したら、三合目登山口まで出発です。
時刻はすでに9時近くなので、焦ります。
車なので、3合目登山口までは15分ほどで行けるかなと思ったら、結構、どんどん道が登っていて着いたのは9時15分ぐらいでした。
駐車場は広くて全部で100台ほどは置けるでしょうか。トイレもありました。
身支度を整えているところに、車が一台入ってきました。
私自身もずいぶん遅くなってしまったと思っていましたが、まだあとから登る人がいらっしゃるのかと少し安心しました。
私の後から来た方とお話ししたところ、広島から来られているご夫婦とのことで、遠く離れた新潟まで来ていることを思うと、香川と広島はご近所さんみたいなものですね。
奥に少し歩いて行ったところが登山口になっていました。
登山口には登山届を出すポストも整備されているようで、広島のご夫婦の方はここで登山届を記入されています。
登り始める前にスマホを車に置いてきたことを思い出し、ご夫婦が登山届を書いている間に車まで取りに行きます。
今回はクマ鈴を持ってくるのを忘れたので、ここでお会いして一緒に登れることになり良かったです。
これも何かのご縁ですね。
keitann様 こんにちは
これはこれはとても懐かしいものが出てきました。
5万図もそうですが、アルバムがピカイチではないでしょうか。
これは家宝級のものですね。
苗場山は学生時代の小生からすると、近くて遠い山でした。
スキーで出かける人は多かったようでしたが、貧乏学生の小生はスキーもやらなかったし、遠くの山への遠征もあり得なかったのです。
精々秩父の山を繰り返し歩いていた程度でしたね。
さて苗場山の岳麓に着かれて、いよいよ山に取付かれますね。
登り始めから黄葉が仄見えて、これから先、葉の染まり具合が楽しみです。
投稿: ぶちょうほう | 2018-10-23 08:05
ぶちょうほう様、こんばんは。
五万図にしろアルバムにしろ、残しておくものですね。
まぁ、処分しようとは一度も思ったことはありませんが、これがないと昔の山歩きの
記憶などどこかへ飛んでいるのではないかと思うほどです。
今日、村上春樹のエッセイを読んでいたのですが、彼も四半世紀前に訪れたギリシアの
島の記憶がすっかり飛んでいて「人間の記憶というものはほんとうにあてにならないものだ」
と書いていましたが、全く同感です。
私の山登りの記憶はそれこそ半世紀前の記憶ですから、もっとあてにならないことばかり
ですね。友人と苗場山に登って山頂まで行ったかどうかすら覚えてないのですから(^^;)
そういうことが余りに多いので、ブログに山行の記録を綴るようになりました。
私の学生時代も学生はほとんど皆、貧乏なのが当たり前でしたから、私などもスキーに
手を出すこともしませんでした。昭和30年代生まれの学生が入ってくるとかなり様子が
違ってきたように思いましたが・・・
三合目辺りのブナもかすかに色づいて、思わず山頂の草紅葉を期待してしまいました。
投稿: keitann | 2018-10-23 21:59