映画「春の雪」
映画「春の雪」を観てきた。
先日も書いたように三島由紀夫の「豊穣の海」の一部作だ。
銀行の待ち時間などで読むので、今はまだ4分の1くらいしか読んでないが、15年程前に一応、一通りは読んでいる。
ほんとは読み終わってから観るのがベストなんだけど、そうしていると公開が終りそうなので、今日は時間があったので観にいったというわけだ。
↑の百人一首の歌は この映画の中で、一つのポイントになっている。
しかし、原作ではこの和歌は出てこないように思う。少なくとも冒頭や今私が読んだ4分の1には出て来ていない。
手に入れがたいものとなると欲しくなる、いつでも手に入れられるものには興味がない。
そういう悪趣味な男なのですね、清顕は。それに比べて聡子は一途で、終始一本筋が通っている。清顕のように小細工を弄したりはしない。
これに似たお話に、プーシキンのオネーギンがある。
岩波文庫の「オネーギン」のことを知ったのは小林秀雄の本を読んでだったろうか?
良く覚えていないが、大学3年の頃だったと記憶している。
「オネーギン」は多分、実家の書棚のどこかにあるのだろう。
オネーギンに恋する田舎娘タチアナの気持ちをはねつけた彼が、後に、社交界の花形となったタチアナに言い寄るが、撥ね付けられてしまう。あらすじは手っ取り早く言えばそれだけのこと。
いつの世も、人は手に入れ難いものを欲する。特にくだらない男ほど。
目の前の幸せには気づかない。
映画の出来はどうであれ、聡子の行き方は見事です。
小説中の比喩です。
「それにしても聡子の声は、この冬の夜の中に、六月の杏子のように、程よく重たく温かく熟れてきこえた」
六月の杏子のように・・・見事な比喩。
因みに、さきほど、15年程前に読んだほうの文庫本が出てきました。
平成3年1月の重版で、32刷です。そして、右側のは平成17年6月に出た63刷。
今は活字が小さい本は受けないのか、活字も大きくなっています。
余談ですが、聡子の来ていた着物も気になりました。私は結構、着物を見るのが好きなのです。
冒頭の庭での出会いの部分での着物はもう少し淡い水色の着物を想像していたんですが・・。
岸田今日子、若尾文子といったベテランの演技が光っていましたね。
榎本孝明も面白みのない父親をうまく演じていたと言えばいえるかな。今まで私が榎本孝明に持っていたイメージはソフトなイメージだったので、ほんとに彼なのかな?と最後まで疑問でしたが。
keitann様 こんばんは
あはははは・・・・・・
さすがに読んでいない本、見ていない映画、となりますと、いくら図々しい小生でも出る幕がありませんです。
そおっと失礼いたします。
投稿: ぶちょうほう | 2005-12-03 21:27
ぶちょうほう様、こんばんは~。
ぶちょうほう様は、普段、どんな本を読まれていますか?
私も活字中毒気味なんですが、最近はネットの活字を追うことが多くて・・・でも、本はネットと違って細切れではなく、著者の一貫した考えを終えるので、やはり本もいいですね。
それになにより、文庫本だといつでもどこでも持ち歩けるのが素晴らしいです。
幾らノートパソコンがあるといってもそこまで携帯はできないですし。
それと映画もまた素晴らしい芸術表現だと思います。今は気軽にいろいろな芸術が楽しめるいい時代になりました。
投稿: keitann | 2005-12-03 23:07