« ヤブツバキ | メイン | 青空にロウバイ »

2006-01-07

シリーズ物

映画にも小説にもシリーズものと言うのがあって、1作目を読んだり観たりして面白いと、なんということもなく、次からも読んだり観たりしてしまう。

1992年にある雑誌の書評で新しいタイプのミステリーが誕生したと紹介されたと読み、すぐさま手に入れたのがパトリシア・コーンウエルが書いた「検屍官」だった。

以来、年末のクリスマス頃になると新作が出るこの検屍シリーズを読み始めて13年が経った。

Dsc00318

廊下に作り付けになっている本棚の片隅に並んでいる検屍官シリーズ。

整理整頓は得意なほうではないので、たぶん他のところにも分れて置いてあるのだと思うが、毎年出るシリーズは全作品読んだと思っていた。が、なんとここを見ると04年発行のものが落ちている。う~~む、早速手に入れなければ。

初期の作品に、すでにパソコンを使ってメールをやり取りすると言うことが書かれてあった。92年当時といえば、パソコンはまだまだオフィスでのみ使用する代物で、インターネットなどと言う言葉は聞いたこともない時代だった。2000年にある事情でエクセルを憶える必要があって、初めてパソコンに触れた私は、それまでパソコンどころかキーボードもワープロも触ったことがなかった。「メール?それなんのこと?」状態もいいところ。メールの概念すら理解できなくて、パスワードを誰かが盗んでメールを盗み読みしたと言うような内容もあったけど、さっぱり意味がわからない。

ただただ想像だけで読んでいたのだった。

やがて自分もパソを使い始めて、人並みにメールも送るようになって、この小説に書かれてあることが、理解できるようになった。

ネットやメールがごく一部の人だけのものだった頃から一転して、いまや、携帯メールからでもカナダにいる友人にメールしたり、アメリカにいる元生徒とチャットが出来る世の中になった。

頭で思うよりも 現実の世界の変遷のほうが早くて、目をパチクリするばかりだが、さて、どこまでこの変遷についていけば良いのか?数ある出版物から読みたい本を選ぶのと同じで、ネットにおいても取捨選択が大事かなぁ。

意外に読書などというアナログな方向に戻るのかも?

コメント

keitann様 こんにちは
現代は、「ネット社会」は揺籃期の混雑の真っ只中にあるのでしょうね。

最近のことですが、小生の画像掲示板に「不幸の手紙」が立て続けに3通舞い込み、すべて抹消していますが、まだまだ続くことでしょう。
こう云うマイナス面も含めて、断然プラスに作用することは、枚挙に暇が有りませんね。

仰言る「取捨選択」が情報過多のこの分野での重要課題かもしれませんね。

アナログの世界でもそれはいえることかもしれません。

小生は最近書籍をバンバン捨て去っています。
ネットから情報を拾えるので、「後生大事に抱えている意味の無くなったもの」が随分身の回りにあることに気づきました。
自分がこの世からオサラバしたあとに残った人に手間を掛けさせないために「捨てる鬼」になろうと思いつつあります。

ぶちょうほう様、こんばんは。
ネット社会はいまだ揺籃期なのでしょうか?今ではTVほどではないにしても普及率はどのぐらいなのでしょう?
60歳以下の住人がいる家庭と特定すれば、ほぼ7割ぐらいでネットが普及しているような気もするのですが、現実の数字を知りたいものです。
携帯も、ネットも使い方さえ間違わなければ、こんなに便利なものはありません。テレビも電話も世の中に出回り始めた当初は、やはり、いろいろな方面でマイナス面が心配されたのでしょうね。
新しい道具を活用するのも人間ならば、悪用するのもまた人間です。行き着くところは教育や世の中の仕組みということになりそうです。

私は書籍をバンバン捨てることが出来ないのです。書籍を情報とだけ見なしてないからだと思います。今はまだどういう方向が良いとも決めかねているというのが実情です。

コメントを投稿

フォトアルバム
Powered by Six Apart

私のもうひとつのブログです。よろしく

更新ブログ