思い出の火上山に登る、その2
4年前には高速だけでインターはなかったのですが、丁度、去年の春に三豊・鳥坂(とっさか)インターができたので、道路が様変わりしています。
あ、それとその1で書き忘れましたが火上山はひあげやまと読み、その名が示すとおり、昔は砲台があって、のろしが上げられていた山だそうです。近くの雨霧山には山城がありましたし、すぐそばの鳥坂は昔から交通の要だったので、場所的にも絶好だったのでしょうね。
この画像も帰路に撮影したものですが、こんもりした山の直ぐ向こう側に細い道が火上山に向かってついていて、その道に出たいのですが、車をとめる都合上、一つ南側の太い道の溜池の縁に車を置きます。
画像のバックに見えているのが弥谷山などです。
手前にはすでに麦畑が青々と育っているのが見えます。
この付近の道を歩いていたら、100mほど先を地元の方が歩いているのを見かけました。登山口をお聞きしようと、声をかけて振り向かれた顔を見てびっくりしました。
なんと歩いていたのは父の妹のご主人である叔父だったのです。
そう言えば、この近くに叔父夫婦の家があって、私と同い年の従姉妹がいたので、小学生の頃はちょくちょく泊まったりしたのでした。しかし、叔父さんは親類付き合いも引退されていて従兄弟が代理で法事などには出席するので、話をするのは10年ぶり以上です。
私は直ぐにわかりましたが、叔父のほうは「どちらさんでしょうか?」と不思議そうです。名前を名乗って〇〇の××子です。と言ったら、直ぐにわかってもらえました。
お天気がいい日は散歩がてらに辺りを1時間ほど歩くそうで、もう88歳になるというのに、とても元気そうです。登山口のことを聞いたら、途中まで案内していただけることになりました。
高速インターの近くにでも車を止めれば、頂上までは近いのですが、家から歩いた子供時代を懐かしんでわざと、ほんとに麓から歩いてみたのです。
辺りは懐かしい讃岐の平野の光景が広がります。
時折、ミカンの木やハッサクの木が見えます。いっぱい実を落としているのはハッサクらしいですが、誰も食べないんでしょうかね?
美味しいのに・・・。
88になると言う叔父は足も達者で私と同じペースで登り坂をスタスタと歩きます。足のどこも痛くはないそうです。
旦那時の世話役をしている関係で、讃岐のいろいろなお寺に講話や説教を聴きに行くそうですが、2時間あまりの時間、正座をしていても平気なのだそうで、驚きます。私など1時間が精々ですが・・。
道はやがてインターへの立派な道路を横切り、高速の下を通って、山すそに出ます。
道の両側にはいろいろな木が生えていますが、それ以上にツル性植物が絡まって、すさまじいです。
梅の木がところどころ生えていて、丁度季節なので、時折目を楽しませてくれます。メジロなども飛び交っているようです。
ミカン畑などの横をとおりながら、のんびりと歩きます。叔父の畑もこの辺りに昔あったそうで、ビワを茂木と田中と2種類、30本ほど植えたのだと言ってました。堆肥を猫車に積んで(一輪車のことかな?)この山の中腹にある畑まで持ってくるのは大変だったそうです。ビワの袋には(ビワは実を保護するために袋をかけます)よくムカデが潜んでいて、二度ほどムカデに刺されたとか・・。そんな話を聞きながらのどかに歩くのはなかなか楽しいものです。
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