思い出の火上山に登る、その3
高速の近くを過ぎてから10分弱登った辺りで、農道のように見える舗装された道が終りました。
「ここからは一本道だけど、途中は木に掴まって登らないといけないようなところもあるから、気をつけて行きなさいよ」と叔父さんがアドバイスしてくれます。
目で見る限りでは山頂までほんのちょっとのようにも見えますが、たぶんそれは前山で奥にほんとの山頂があったはずです。
14時45分、山道を歩き始めます。因みに車を置いた場所を歩き始めたのが14時10分頃でしょうか。ここからは山道らしい道になっています。2,3日前にやはりこの付近に実家がある友人に「火上山に登るかもしれない」とメールしたら羨ましいという返事が来ていました。その友人の携帯に「今、丁度登ってる」と電話してみました。「いいな~」と言われましたが、友人は都合で今しばらく外出がし難いのです。もし、この次に来ることがあれば、彼女と登りたいものです。彼女にとっても懐かしい山でしょうから。
などと話しているうちに道が下り始めました。下るのはおかしいな~と思い、少し引き返し、かすかな踏み跡を登り始めます。
どうやら、この登山道は人があまり登らないので道が消えかかっているのかも知れません。
それか、一旦下っているものの、しばらくしたらまた登り道になっていたのかも知れません。
ともかく踏み跡を辿ってみるのですが、山の斜面のあちこちに人が踏んだ形跡があります。里山ですから、キノコや山菜などを採るために人が勝手に歩いているのでしょう。昔は父に連れられてそんな風に私も道のない山を歩いたものでした。
山頂に行くにはとにかく上へ上へと目指せば良いので、それほど心配することはありません。
生えている木はヒサカキやユズリハ、アカマツなどの常緑の木が多そうです。
時折、山桜の木が見えます。
木と木の間をすり抜けるように斜面を登っているうちに、ひょっこりと登山道に出ました。15時5分のことです。
木の枝に赤布がつけられていて、明らかに道とわかります。
ダンコウバイか何かわからないですが、落葉樹の可愛い花芽らしきものが見えます。
しかし、火上山の植生はどちらかというと貧相です。検索によれば、明治の末頃は禿山だっとありますから、仕方ないことかも知れません。
途中で祠が見えてきます。この祠は4年前にも見たように思うのですが、4年前の画像がパソのクラッシュで消えてしまい、記憶がどうも曖昧です。
叔父さんの話では以前は地元の人がきちんと祭っていたそうですが、今では世話をする人もあまりいないようです。
ところどころこんな道標もぶら下がっています。4年前にはこれほどきちんと整備されていなかったように思うので、その後歩く人が整備されたということでしょう。
道はきちんとついているとはいえ、斜面をほぼ直登しているので、結構きついです。
昨日の気温が高目だったこともあって、ウールのセーターなどは着ていないのに、汗が噴き出ます。来ていた薄でのジャンバーはとうの昔に脱ぎました。
登り坂を登り終えたら、ちょっとした平らな場所に出るのですが、山頂はそこから東方向に少し歩いたところです。
山頂到着は15時28分。
三角点も3等だか2等のがありましたが、撮影するのは忘れました。
木にはやはり道標がつけられていて、中山方面への矢印があります。この方角に向かえば、善通寺五岳の他の山々にいける筈です。そして、この山頂が旧三野町と善通寺市との境界になっています。
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