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2007-03-15

26回目の命日

今日は主人の母の26回目の祥月命日でした。

去年は25回忌だったので、2,3日早めに法事をしたのですが、今年は義母の姉、妹など主人のおばや義弟夫婦、うちの子供などでお経をあげました。

まだ50代の末という若さで逝ってしまった義母の年に、私も年々、近付いています。

P1030741kabinn_no

昨日、庭に出て、仏壇用にラッパ水仙を切ったついでに、クリスマスローズも3種類ほど摘んできました。丁度咲いていたバイモも切り、八重咲きのベティラニカーも3輪ほど入れます。水仙にしろ、クリスマスローズにしろ、あまり長い間株で咲かせると、株が消耗します。と、頭ではわかっていても、やっぱり花を切るにはためらいがありますが、お客様のためなら切れますね。

P1030748 今日の仏花は芯にはテッポウユリやストック、すそに小菊や畑で咲いているラッパ水仙、グランドモナーク、それにユキヤナギを入れてみました。

P1030750butu_hana 叔母もまた水仙をたくさん持ってきてくれたので、花筒に足します。ラッパ水仙からもひときわ高い香りが立ちます。偶にもうちで咲いているのと同じ、アイスフォリスの花とグランドモナークでした。

義母は入院するときに何かを覚悟していたのか、家の中をすべて片付けて行きましたが、今の私はどうでしょう?

私が今死んだとしたら、家の中のことは主人にはとてもわからないほど、何もかも中途半端です。しかし、そのほうが、これではうかうか死ねないということになって、いいのかも知れません。

コメント

お姑さんが亡くなられてからずっと、keitannさんがこの家を守ってこられたんですね。まだ若い頃だったと思うので、大変だったこととお察しします。

私の母も、入院するときは家の中のものをすべて整理して引き出しやダンボールに入れ名前を書き、家を後にしたようです。家には父と当時未婚の妹がいたんですが。
それは、家族がわかりやすいように、という配慮よりも、「もうこの家に戻っては来れない」という覚悟だったような気がしているんですが。
私が今急に死んだら、さらに家の中はめちゃくちゃです。それが心配で、やっぱりとうぶん生きていなくちゃ、と思いますね。同感です。

noiさん、こんばんは。

今日、山にご一緒した方は、丁度なくなったときの義母と同じ年の方でした。
50代末というとまだ現役で仕事をしていたりするので、やはり早すぎますよね。
仕事を引退されて少しはのんびりと趣味や自分の時間を楽しんだ後なら、まだいいのですが・・。
noiさんのお母様もずいぶん早くあの世に旅立たれたのですね。父親と違って、母親は子供のことが心配でしょうね。うちも義妹は何とか結婚した後でしたが、一番上の子がまだ1歳にもならないときでしたので、母親を早くに亡くして可愛そうでした。少しは私たち夫婦が親代わりに何かしてやれたらと思って、義妹の入院中などに子供を預かったりしたものです。
そんな義妹の子供たちももうそれほど手がかからなくなりました。
年数が経っても、自分がその年に近付いているので、また違った意味で義母の死の意味を考えるこの頃です。

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