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2007-06-06

カマツカ

5月に引き続き、6月の樹木の花も,白い花を咲かせるものが多いようです。

去年まで区別がつかなかったカマツカとサワフタギも今年はなんとか見分けられるようになりました。

P1100911

というか,今年はまだサワフタギやタンナサワフタギの花をまだ見ていません。

カマツカはバラ科で、サワフタギはハイノキ科なので全然違うのですが、素人には白い小花ということで,花の時期も同じだと判別に苦しんだものです。

カマツカの別名はウシゴロシ。なぜこんな怖い名前がついたのかというと、この木が硬くて丈夫なので、牛の鼻に通す鼻輪をこの木で作ったからだそうです。牛の鼻輪といっても若い人や都会育ちの方にはぴんと来ないと思いますが、私は小学生の頃,一時期,祖母の家に仮住まいしていたことがあり、その祖母の家で牛を飼っていたので、すぐにはは~と思いました。

余談ですが,小学5年生のその一年間、祖母宅での私の役目は牛の餌やりと風呂焚きでした。牛の餌は、讃岐弁で「牛のハミ」と呼んでました。はむといいう言葉は「食む」と書き,古語で食べるという意味です。そこから餌のことを「ハミ」と呼んでいたんでしょうね。ほかにも讃岐弁には古語から来たと思われる方言が多いです。それだけ歴史の古い地域ってことですね。

牛はもちろん田植え前の代掻き用に飼っているわけですが、今から考えればそのときだけのためにずっと牛を飼っていたわけですから,昔の農家は悠長だったのですね。あ、そう言えば、牛の糞は堆肥にしていましたから、それだけのためではなかったようです。餌は稲わらを飼葉切りというもので長さ10センチぐらいに切ったものに、米糠と塩を混ぜたものをやっていましたっけ。その他にも敷地内には鶏小屋もあって、鶏も飼っていました。お風呂はもちろん五右衛門風呂で、山から松の枯葉(コクバと呼んでました)を取ってきて,焚き付けにしていました。その頃はお風呂は敷地内のはずれに建っていて,まだ電気が引かれてなかったので、ランプを点して、お風呂に入ってました。今からは考えられないいような生活ですが、それだけにとても印象に残った一年間でした。

また話が逸れましたが、牛を人が操るために牛の鼻には鼻輪が通されていて、田んぼに連れていくときは,鼻輪に綱を通して、人がその綱を引いて行くわけです。また、農繁期には牛を飼ってない農家は阿波(徳島)から山越えをして牛を讃岐に連れてきたもので、帰りにはその代償として讃岐で獲れたお米を阿波の牛が背中に積んで帰ったそうです。「阿波の借耕牛」と言って、歴史のある風習らしいですが、その牛達が通った峠道は、今は私が好んで歩く山道です。

P1100912 バラ科の花らしいぱっちりとした花を咲かせているカマツカの木です。今ではさすがに牛の鼻輪の用途にも使わないでしょうが、阿波の牛が通った峠道からそう遠くはない場所で咲いていました。

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