銅山越へアカモノのお花見に、その2
登山口の日浦には9時20分到着。川之江で法皇トンネルへの道を探すための時間をロスしたのと、途中でエゴの花などを撮影したために予定より少し遅くなりましたが,行程が楽なので、どうということはありません。
雷雨予報は出ていたものの,実際には9日には雷はなってなかったし、雨も止んだので私達みたいな考えで山に来ている人もいるらしくて、駐車場はすでに7~8台の車が停まっていました。
↑画像は下山してきたときに撮影した画像ですが、登山口は次々と綺麗に整備されていて,一年前に来たとはトイレを建設中でしたが、そのトイレも完成していました。こんな山の中ですが,下界と変わらない綺麗な水洗トイレです。軽トラックがとまっている右に見えている建物がそうです。初めてここに来た6年ほど前には駐車場は舗装などしてなくて,ただの空き地で、ここまでの道も離合不能な狭い個所が多かったのを記憶しています。今では新居浜からでも別子村方面からでもそれほど悪い個所はなく,快適なドライブウエイとなっています。
身支度をして9時半出発です。
いつもの場所にいつもの花が咲いています。考えてみたら6月に銅山越に来るのはこれで4回目か5回目です。最初の2回は当時小学生だった末っ子連れでした。
登山道だけは変わっていません。
登り始めてすぐに沢のそばで毎年見かける山アジサイは,今年はまだ時期が早くて色付いていません。
↑画像のコガクウツギは5月から見かける花ですがまだまだ綺麗に咲いていました。中央に見えるの小さいのが両性花で、真っ白の大きい花が装飾花です。ユキノシタ科アジサイ属ですから、ウツギとはついていてもアジサイの仲間です。見た目もアジサイに似ていますね。四国の山地ではとてもポピュラーな花です。
登り始めて10分も経たない間にアカモノの花が見えてきました。銅山越はツガザクラが有名ですが,このツガザクラとほぼ同じ時期に咲くアカモノはツガザクラ以上に群生していて、登山道の初めから終わりまでといってもよいぐらい、ずっと咲いています。
Hさん夫婦が婚約時代、初めて登ったのがこの銅山越でそのときに咲いていたのが可憐なアカモノだったということで、Hさんにとっては思い出の花らしいです。去年も彼女のたっての願いでここに来たのでした。
私はいつものLUMIX,彼女は一眼デジでそれぞれ撮影します。しかし、アカモノは上に行くほど見事に群生しているはずです。期待に胸が膨らみます。
このコースは沢を何度も渡るコースで、沢の上には吊橋がいくつもかかっています。眼下の沢は前夜の雨で水量も多く、流れの勢いも良いようです。
沢の上に覆い被さった木々の緑も雨に洗われて清々しいばかりです。
これも6月のお約束の花、サワギク。この株はまだ咲き始めでしたが、見頃に咲いている株もありました。同じ山に同じ季節に4度も登っていると,どの辺りに何が咲いているかはもうすっかり頭に入っていますね。
小足谷接待館跡です。今ではレンガ塀跡だけが残っています。この銅山越は別子銅山の遺跡が随所に残っており元禄時代には世界でトップクラスの銅を産出し、往時は約4000人の銅山関係者が住んでいたといいます。興味のある方はこちらをご覧下さい。
私達が登っているときも後方から二人の男性連れが登って来られましたが、一人の方がもう一人の方に遺跡の説明をされていました。銅山越に来る人はそんなわけで、ただの山登りとは違って、銅山の面影を偲びに来られる方も多いようです。
これもそんな遺跡の一つで劇場跡です。明治時代にはこんな山中にまで歌舞伎の名優が来たと言いますから、当時の鉱山の繁栄ぶりが覗えます。また小学校もこの地に建っていたそうで児童数は300名近くだったとか・・今はひっそりと静まり返った山からはとても想像が出来ませんが・・。
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