庄内半島ミニドライブ、その2
箱に着く手前から半島の突端に白い灯台が見えています。
この箱の近くには確か三崎の灯台と箱崎灯台の二つの灯台があるはずです。
行ってみたいと思いながら、いつも忘れるので、この日は忘れずに灯台のところまで行ってみました。
箱の海岸のすぐそばに小さなお堂があって、上に階段が伸びています。多分その階段を上れば灯台だろうなと見当をつけて歩き始めます。花崗土の上にはウバメガシが生えていて3分も登ると灯台に着きました。遠くから見ていたのより、思いのほか小さい灯台でした。
ドアには海上保安庁とかかれています。いまさらながらですが、灯台って海上保安庁の管轄の建物なんですね。
灯台の周囲の柵まで来ると眺めが良くて、対岸の岡山も見えます。
画像は詫間の沖合いにある粟島です。幾つもの島に見えますが実は繋がっていて、中央の細い部分は幅が100mもありません。つまり表も裏も直ぐ海になっていて、私たちは高校時代にはくらげに刺されながら、この島で泳いだものでした。なぜ、くらげが出るようなお盆過ぎに泳いだかというと、当時所属していたバレー部の試合が8月半ばにあって、それまでは海に行くことは禁止だったんですね。
スイカを持って、半島の道をチャリで走り抜けたり、小さな船で島に渡ったりしたのも良い思いでです。また中学の頃まで船釣りをする父について、小さな伝馬船みたいな船に乗って、ワチだのキスだのベラだのをつったのもこの辺りの海です。
多度津方面をズームしてみます。私が時々登る天霧山や黒戸山、善通寺の我拝師山などが煙ったように見えています。讃岐の里山はこんなポコポコした山が多いです。
再び、ウバメガシの中を下ります。ウバメガシの木の下にはヒトツバが繁っていますが、この日照りでカラカラになっていて今にも枯れそうです。
去年ここで見かけたハマボッスやアゼナ、ハマナデシコもすっかり枯れたのか見えませんでした。一雨も二雨も欲しいですね。
この庄内半島には箱、(玉手箱?)紫雲出山(玉手箱から出た煙?)など、浦島伝説にちなんだ地名も残っていて、自然の海の残った良いところです。
庄内半島をぐるりと一周してさらに西に行くと今度は仁尾というこれまた鄙びた海辺の町です。ほんとは鉄道が着く予定だったのに、仁尾の人たちが反対したので、代わりに私の故郷の町に駅が出来たということです。
仁尾の町には古い町並みが残っていて、9月末には八朔の馬節句という変わったお祭りがあります。
http://www.city.mitoyo.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=3035町の各所で「八朔人形祭り」と書かれた幟がはためいていました。
馬節句は団子の粉で馬の形をかたどった人形を作り、張子の虎や人形とともに飾って男の子の無事の成長を祝うというものです。うちにも母が送ってくれた大きな虎の人形などがあります。私が中学の頃でしたか、なかなか子供の出来ない叔母のところに男児が生まれて、盛大に馬節句の飾り物をして、わざわざ見に行ったことがありますが、それは見事な飾りでした。讃岐は特有の風習の多いところです。
その仁尾の町の現代の名物です。たこ判といって、大判焼きの中身がたこ焼きというものです。
今までにも食べてみたかったのですが、お店の場所がわからなかったのを、道を歩く人に尋ねて、今回は無事に買えました。
一個、普通の葉80円、卵入りだと100円です。1つ1つ丁寧に包んでくれています。
ソースとマヨネーズもかかっています。
焼いているところを刷ししぞびれ増したが、キャベツがてんこ盛でした。この暑い中を冷房もいれずにおじさんとおばさん、おばあちゃんの3人で切り盛りしているようです。安さと丁寧な仕事に感激しました。8個買ったのですが。持ちやすいようにちゃんとダンボールの箱にまとめて入れてくれます。
帰りに携帯メールの打ち方を練習中の母を特訓するために実家に立ち寄り、母にも一個おすそ分けでした。父の仏壇には生憎とタコが入っているため、お供えできませんでしたが・・。
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