お昼頃は良いお天気で青空も見えたので、実家に近い里山に登ろうと思い、家を出ました。
ところが、車を走らせ始めると直ぐに小雨が落ちてきました。
通り雨で直ぐにやむだろうと思っていたのに、登山口に着いてもまだ降っています。
それでも山靴に履き替えて5分ほど登り始めたのですが、雨脚が少し強まったので、諦めて下ります。
ここまで来たことだし、母に電話をかけたら、ちょうど家にいたので、母と一緒に美味しいコーヒーを飲みに行くことにしました。
雲辺寺山方面にかかっていた雨雲はコーヒーと美味しいケーキをいただいて、カフェから出た頃にはすっかりなくなって。辺りは綺麗な青空が広がっていました。
帰りは5時を少し回りました。久しぶりに夕日を見られそうな時間です。
車をとめて、夕日をちょっとだけ撮影してみます。
横浜に18の頃からの親友がいます。彼女のお父さんが危篤状態で、15時過ぎの新幹線に乗ったというメールをもらいました。母と一緒に美味しいコーヒーを飲んだのも、母が元気なうちに少しでも良い時間がすごせたらという気持ちもありました。
私の父は56歳という若さで死にましたが、私もまだ20代と若く、なかなか父の死を現実のものとして受け入れることができませんでした。
しかし、彼女の悲しみを見ていると、親の死というのは年が若くとも年老いていても、子供にとっては同じなんですね。
登山口の近くでは白梅がぽつぽつと咲き始めていました。
keitann様 こんにちは
金色の夕景が見事ですね。
本当に仰言るとおりで、お母様がお元気なうちに、「意識がしっかりしているうちに」沢山の時間を共有してあげてくださいね。
小生の母親は昨年亡くなりましたが、最晩年は意識不明で約6年半生かされ続けていました。
母は跡取りの長男と共に関東に在住していましたので、小生は時折り訪ねていくだけでしたが、正常な意識のある最後の年に「母の日」の祝いをしに夫婦で訪問出来たのがせめてもの慰めです。
父親の死に目には離れすぎていたので間に合いませんでした。
親子の時間を大切になさってくださいね。
投稿: ぶちょうほう | 2008-02-09 10:53
ぶちょうほう様、こんにちは。
今日は四国も氷雨が降っております。しかし、水の少ない地方ですので、雨が降るのはありがたいことと受け止めています。
親と子の関係は様々ですが、私の周囲は父親、そして主人の両親とも、早く亡くなりましたので、今現在は老親を看取るという生活にはなっておりません。
しかし、周囲を見ると、私の友人たちがここ数年で、申し合わせたように親の介護が切実になってきているようです。ぶちょうほう様のお母様は意識不明のまま、人生の最後の6年余りを過ごされたのですね。どのような死であれ、死というものは万人に等しく訪れますから、その前の生の部分をどう生きるかということを、考えざるを得ません。
お母様の意識のあるときに「お祝い」をされたというのは、いろいろな意味で良かったですね。
投稿: keitann | 2008-02-09 14:45