新緑の徳島の山へ、おまけ、茶摘の風景
徳島や高知、愛媛の山間部では茶畑をあちらこちらで見かけます。
お茶の木は、山歩きをしていると、ちょっと山間の集落などでは必ずといってよいほど見かけます。山間の集落では、昔から恐らく自給自足の生活を続けてきたのでしょうか、その家で飲むお茶ぐらいは作っていたのでしょう。
このとき見かけた茶畑は、それよりも少し大規模な畑でしたから、出荷もされているのでしょうね。吉野川流域は特に川霧が発生しやすく、昼と夜の温度差が大きいのでお茶の栽培には適しているそうです。
そして、四国の真中辺りの愛媛、高知、徳島の山を歩いていると、いたるところで自生しているお茶の木を見かけます。それだけ、環境もお茶にとっては良いと言うことでしょう。
今年の一番茶でしょうかね。
やがて、小学校低学年ぐらいの男の子が茶畑に走ってきて「お茶にしてくださ~~い」と大きな声で叫びます。
道の真中に女の人がブルーシートを敷き始めました。
行き合わせた私たちも「一緒にお茶を飲んで行きなさいよ」と勧められて、有りがたく、お茶をよばれました。(^。^;)
ブルーシートの上にはスイカや甘夏柑の切ったの、お饅頭、アラレ、ピーナッツ、男の人用でしょうか、よく冷えたビールまで、豪勢なおやつや飲み物が所狭しと置かれてあります。
お茶は勿論、この茶畑で採れたお茶だそう。私たちも申し訳なくて、行動食にするつもりで食べなかったケーキなどを食べていただきました。
それにしても、私が子供の頃は実家辺りでも田植えの時期は一族総出で(当時は祖母の家には耕作用の牛も飼っていました)作業していたので、田んぼ道にムシロを敷いて(むしろも死語でしょうか?)こんな光景を見たものですが、今では田舎でも機械で週末にしてしまうので、こんなほのぼのとした光景は見られなくなりました。
こうして見ず知らずのものにまでお茶を振舞ってくれるような大らかさも、中途半端に都会化した我が家の辺りでは消えてしまいました。
やはり子供時代に田んぼの畦で良く見ていた花です。
ヘビイチゴかなと思っていたら、五枚葉なので調べるとオヘビイチゴのようです。
このオヘビイチゴはキジムシロ属なのだそうです。
徳島には平家の落人伝説もあったりと、古民家が多いのですが、この方たちも由緒のある家系の方々でした。「この地に住み着いて650年」などと気の遠くなるような話が何気なく出ます。
実際に今も住んでいると言う家を見せてくださったのですが、築400年以上ということでした。土間から畳の高さまで垂直距離にして1mはあります。
うちは私の祖父がやはり徳島の山中の出なのですが、母に話したら徳島の山の中に建つ家では縁の下が1mと言うのは良くある話で、それを利用してサツマイモなどを貯蔵すると言う話でした。
いまだに現役の住宅である築400年以上の家の中には囲炉裏がありました。
毎年、新茶の茶摘の時期にはこうして遠くに住んでいる一族郎党が帰ってきて、力を合わせて茶摘をすると言う生活に、子供時代の一族揃っての餅つきなどを、しばし思い出し、郷愁を感じたことでした。
それにしても山里の方は皆さん、心が温かいです。いつも感じます。
阿波から讃岐路に帰ってくると、讃岐平野はおりしも麦秋一色です。
茶摘と麦秋、それにスダジイの白いモコモコ・・・初夏の風物詩を堪能した一日でした。
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