鳴門の大麻山に登る、その2、ドイツ橋
登山口はどこだろうときょろきょろしたのですが、それらしき道標や案内板が見えません。神社の横からこんな赤い鳥居が見えていたので、取りあえず、そっちの方向に歩いていきます。
前方に「四国の道」の道標が立っています。行先は書いてないのですが、どうも右手に行けば良さそうです。
左手にはドイツ橋とあったので、ちょっと寄って行くことにしました。
大麻町の坂東収容所には第一次大戦のドイツ兵捕虜が住んでいたので、この付近はドイツ兵によってドイツ文化がもたらされたのです。
2年前にドイツ館を見学したとき、捕虜の暮らしぶりなどいろいろな資料を見たのですが、ずいぶん興味深かったのです。
たまたま私の自宅近くのお寺もドイツ兵捕虜の収容所だったのですが、その縁で、2年ほど前からお寺で第九の演奏会が催されているという、目に見えない結びつきも感じています。
横から眺めると、こんな造りになっていて、日本の木造の橋とは趣が違いますね。
外国風の石造りの橋の向こうに丹塗りの鳥居という一見ミスマッチな光景ですが、橋が古びているので、それほど違和感も感じないのが不思議です。
ドイツ橋を眺めた後、「四国の道」の道標に従い、大麻比古神社から東の方角に少し歩いてみました。
しかし、何かの果樹園らしきのが見えるだけで、登山口らしきものも見えないし、登山口方面を示す道標も見当たりません。
仕方なく、神社東側から北側にかけての外周をぐるりと回るような感じで歩いてみました。
外から見ると、神社周辺は鬱蒼とした森になっていて、ヤブツバキの木なども多かったです。
今年はヤブツバキの開花が早く、大麻比古神社周辺でもあちこちで咲いていました。
冬場の里山歩きではお馴染みの花ですが、株によって花色が微妙に違うのが楽しいです。
こちらは大麻山の登山コースですが、結局、登る前に神社周辺をかなりうろうろしたことになります。
神社の北側から再び境内に入って、ドイツ橋横を通って駐車場まで帰ってきました。
どこかに神社周辺の説明図があるはずでそれを見れば登山口がわかると思いました。
結局、神社南側の祓川橋のたもとに周辺の概念図が立っていて、登山口に向かうには川沿いに歩けばよいことがわかりました。
事前に、もう少し登山口情報を調べておくべきでした。
ドイツ橋いろいろな思いが詰まった橋ですね。
第一次大戦のドイツ兵捕虜が住んでいた。。。。
楽しい話ではないのに月日がたてば
心にしみる話です。
どういういきさつでこの土地だったのでしょうかと
考えると気が遠くなります。
投稿: tkomakusa1t | 2012-01-23 06:15
大麻山は全く知りませんでしたが
ドイツ村は3-4年前に立ち寄った事があります。
確か昔は捕虜収容所だった場所ですね。
ベートーベンの第九が日本で最初に演奏された場所だとか
その時のドイツ人捕虜の方が日本中にドイツパンを広め
今は神戸に本社が在るユーハイムやフロインドリーブだとか・・・ですね。
投稿: k2 | 2012-01-23 22:47
komakusaさん、こんばんは。
板東俘虜収容所のことは映画「バルトの楽園」などでも当時をしのぶことができるようです。
私がドイツ館で拝見した資料にも、ドイツ兵捕虜は捕虜と言っても自由な行動を許され、人間的な生活を営むことができたようですよ。
ドイツ兵捕虜は最初、松山、徳島、そして私の住む丸亀の三か所に収容されていたらしいのですが、どの施設も手狭なため、新たに鳴門のこの地に収容所が建てられ、捕虜の人たちもこの地に集められたようです。
主人の祖母はロシア兵捕虜やドイツ兵捕虜の話をよく話していたものです。
でも、捕虜の方たちが板東で日本最初の第九を演奏したというのは有名な話のようです。
投稿: keitann | 2012-01-23 23:45
k2さん、こんばんは。
そうですか、k2さんも鳴門のドイツ村に足を運ばれたことがあるのですね。
そうなんです、ドイツ村辺りがかつての板東俘虜収容所のあった場所みたいですね。
第九がこの収容所で初めて演奏されたということは、私もドイツ館で初めて知りましたが、実は私の住む近所のお寺も深いかかわりがあります。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20110808000202
神戸のフロインドリーブやユーハイムもドイツ兵捕虜の方が創業されたというのは初めて知りました。
こうしてみると、戦争は悲惨な面もありますが、捕虜の方によって異国の文化が持ち込まれる機会でもあったわけですね。
フロインドリーブは結婚前に1,2年だけ大阪にいましたので、神戸に行くと良くパンを買いに行ったので懐かしいです。
西村珈琲店とともに、青春時代の思い出の店です。
投稿: keitann | 2012-01-24 00:04