塩飽諸島の本島を歩く、その7、年寄の墓
笠島の家並みを見たら、南へと歩き始めます。
この画像の民家も格子窓があって、側面にも綺麗な彫り物が施されています。
反対側の家には柱と柱の間に支えのような物がはめられていて、これにも綺麗な彫り物が見られました。
道のすぐ傍らに専称寺の井戸なのか、大きな井戸も見えていました。
海に近い場所では良く見られるコバノタツナミはもう春の準備を始めているようです。
専称寺を過ぎると、下り坂になっていて、集落が見えてきました。
といっても先ほどの笠島からはほんの5分で、ここもまだ笠島地区になるのかもしれません。
なまこ壁のはがれ落ちかけた蔵のような建物が見えています。
これももとはさぞや綺麗な建物だったんでしょうね。
やがて、最初に歩いた勤番所方面への道に出ましたが、海が見えてきたので、寄り道してみました。
リナリアの花の向こうに瀬戸大橋が見えている、これもちょっと不思議な光景でした。
この海岸、「新在家海岸」と言うのだそうですが、何やら見覚えがあります。
良く考えたら、上の子供たちがうんと小さかった頃、ご近所の方たちと一緒に、海水浴に来たことがありました。
ご近所の方に本島出身の方がいらして、その縁で、本島に子供たちを連れてきたのです。
奥さんのほうが本島の出身でしたが、ご主人がとても世話好きな方で、このときは何から何までお世話になったものです。その御主人も胃がんで若くして亡くなられ、亡くなってからでも20年近くが経ちます。
本島にも両墓制があったようですね。
塩飽諸島でも高見島、志々島、佐柳島の風習として良く知られていますが、本島にもこの風習があったというのは初めて知りました。
山根文化センターまで帰ってきましたが、同じ道を歩くのは気が進まないので、別の道を行くことにしました。
ここでちょっと驚いたのは、田んぼが見られたことでした。
本島は大きさはまずまずですが、それでも水田のある島は瀬戸内では珍しいと思いました。
年寄と言うのは人名の中から選ばれて本島の政治を司った人です。
宮本家の墓の前を通ってそのまま西に歩いていくとこれも見たかった場所の一つ、木烏神社に出ました。
そして、こちらが神社の境内にある千歳座という芝居小屋のようです。
あちこちを歩いていると小豆島と言い、本島と言い、芝居が庶民の娯楽として大きな存在だったことが想像されます。
金比羅さんの金丸座だけが芝居小屋ではありません。
神社の建物にもこんな彫り物が見られました。
船の時間にはまだかなりあったのですが、3,4時間歩いたので、腰にきてしまいました。
海沿いの道を歩いて、待合所近くで一休みすることにしました。
海の向こうには見慣れた飯野山と青ノ山が見えています。
これも馴染み深い山です。
船が来るまでの1時間半と言う時間、そして、船に乗っている30分余りの時間は、ザックに入れてきた「坂の上の雲」を読むのに、ちょうどうってつけの時間でした。
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