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2013-01-25

島歩き第一弾は本島、その3、正覚院(山寺)へ

第一目的のイヌノフグリは探し回らずとも、あっと言う間に見つかったので、幸先が良いです。

後はのんびりと八ヶ峰に登ることにしましょう。

山渓の分巻ガイドを見ると、八ヶ峰山頂は正覚院のすぐ近くになっています。登山道らしきのが下からもついているようですが、どうやら登山道が出ている辺りをすでに行き過ぎたようです。

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道を歩いていると、こんな小さな看板がかかっています。

この家は咸臨丸の水夫だった方の生家の跡なんですね。

去年は別コースを歩きましたが、そこにも咸臨丸の水夫の生家を見かけました。

本島を中心とする備讃瀬戸島々を塩飽諸島と呼びますが、塩飽の水夫たちは操船技術が巧みで、咸臨丸の水夫中35目にが塩飽の島々の出身だったようです。

P1183712正覚院と言う道標を見つけたので、その方向に歩き始めます。

本島の島内にはいたるところにこのような道標があるので、行き先を探すのは早いです。

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海の近くなので、草丈の高いダンチクが目につきます。

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かと思えば、こんな実が・・・。

これはシュンランの実でしょうかね?

去年歩いたコースではシュンランをあちこちで見かけましたが・・。

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空が青いので、冬枯れの木立も良い雰囲気です。

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車道に沿っててくてくと歩いていくのですが、道は登り坂になっていて、いつの間にかちょっとした山の雰囲気になりました。

道ばたにはこれまた海辺の山に多いコバノタツナミの株が見えます。

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これはツリガネニンジンの果実のようですね。かなりの株数が見受けられました。私が良くいく山と同じような植生です。

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またしても道標があって、正覚院にはここから登って行くようです。

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と言っても、道はずっと舗装された車道が続いています。

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ゆっくり登って行くと、すぐにお地蔵さんがござらっしゃいました。6体のお地蔵様です。

ここでまずはお詣りしていきました。

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お地蔵様のお顔は一体一体、それぞれ微妙に違っています。でも穏やかなお顔が新年の気分にぴったりでした。

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お地蔵様のすぐ上手のところに、こんなお墓が・・・。

理源大師のご母堂の綾子姫のお墓だそうです。

その理源大師と言う方がどういう方なのかもその時はわからなかったのですが、京都の醍醐寺を開かれた方と言うことです。そもそも大師と言えば讃岐では弘法大師さんのことを指しますが、大師と言う称号を与えられたのは今までに22人。そのうち讃岐出身の高僧が5名だとか。

そんな有名なお坊様がこの地で誕生されたんですね。

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車道はまだまだ上に続いていて、正覚院にまで続いていそうでしたが、昔からの参道の石段が見えたので、こちらに進みます。

石段の登り始めの場所にまずは水不動と言うのがありました。

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小さな祠の奥に磨崖仏のお不動さんが見えます。

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これがその枯れることのないという水のようです。

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なおも登って行くと、正覚院の山門らしきのが見えてきました。

辺りは結構な山で、こんな山の中にこれだけのお寺を建てるのはさぞやと思いました。

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山門をくぐると立派な鐘楼も見えます。

そこいらのお寺よりよほど風格がありそうです。

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それを裏付けるようにお寺の塀の白い筋は5本でした。お寺の塀の白い筋は格式が高いほど多いと聞いていて、5本の筋は最高の格式だと聞いたことがあります。

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正覚院の由来を書いた説明文があったので、読んでみました。

後で検索して見たところ729年に開山されたとあり、歴史の古いお寺なんですね。こんな島の中のしかも山中に由緒あるお寺があったことに驚きました。

しかも正覚院のご本尊は国の重要文化財に指定されている秘仏だそうです。

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この日はもちろん私以外にお参りに来ている方もおらず、お寺はひっそりと静まり返っていました。

ゆっくりとお詣りを済ませた後、ふと、お寺の掲示板のような場所に張られたポスターが目に留まりました。

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「山寺の夏まつり」と書かれたポスターです。

ここ本島の正覚院は「山寺」と呼ばれているんですね。島の中央の八ヶ峰山頂に近い場所に位置しますから、それももっともです。

12月に山形の山寺にお詣りした私としては、それから1カ月も経たないうちに、今度は塩飽本島の山寺にお詣りすることになったということに不思議な縁のようなものを感じました。

山形の山寺ほど有名ではありませんが、開山は山形の山寺より古いのです。

ポスターには「荒行火渡り」とも書かれています。

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ポスターを読んだ後で境内を眺めてみれば、この炭の後はどうやら火渡りの荒行の跡のようです。

一度ぐらい、その夏まつりの日に訪れてみたいような気がにわかに湧いてきました。

コメント

keitann様 こんにちは
地図を見ながらこの記事を追っています。
天平時代に開いたお寺さんということですから、これは由緒正しいところの様ですね。
弘法大師のほかにも法然上人の足跡も記されているようですので、その由緒は折り紙つきのようですね。
塩飽諸島の水夫たちの活躍については昨年のレポートで始めて知りえたことでしたが、この「山寺」についても初めて知ることばかりでした。
先日東北の山寺の記事を拝見したばかりでしたが、こちらの山寺の方は、それの先輩格でしたか。
五本筋の土塀・・・・その意味については初めて知ることでしたが、瀬戸内の島にこんなに格式の高いお寺さんがあるのですから、これには驚きました。

ぶちょうほう様、こんばんは。


私も本島の山寺と言うのはどこかで聞いたような記憶もあったのですが、同じ市内の人間として、この島にこんな由緒正しいお寺があったことを知らなかったのは恥ずかしい限りでした。
法然上人様の足跡は私の住む近くのお寺にもあるので、こちらは知っていましたが、そうなれば、本島は本州にわたる途中ですから、法然さんが立ち寄ってもおかしくはないわけですね。
今はお祭りなどの行事の時以外は島自体が眠ったように静かな島ですから、ましてや山の中のお寺に訪れる人とて、それほどいないのだろうと思います。
観光客であふれる醍醐寺と比べるとまことにひっそりとした佇まいでしたが、山形の山寺でも一人で参拝したのですから、本島の山寺を一人で参拝するのもまたおつなものでした。
こちらはお寺が多いので、塀の白線の数出格式がわかるというのは、嫁いできたときに私より若い義妹に教えてもらったことです。今ではどこのお寺も白線が多くなり、どこまで真偽なのかはわかりませんが・・・。
本来は皇室とゆかりのあるお寺にだけ許されたとか・・・。

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