金剛院周辺をぶらぶらと、その3、竜王山の山すそを歩き周回する
お堂の前まで回り込んでみたところ、西行法師という字が見えました。
↑元日に歩いたときは、もう一つのお堂のある場所をてっきり法師越だと思い込んでいたのですが、これが西行法師のお地蔵さまだとすると、この場所が法師越ということになります。
検索すると次のような記述がありました。「西行は大高見峰の山崩れを見に行き金剛院や金山神社に詣で綾上まで歩いたという伝承があり、旧満濃町と旧綾上町の境には法師越峠の地名が残っているそうです。法師越えの頂上のところに西行法師の石仏があります。これにまつわる伝承としては、萩原で野ぐそをしたら萩の枝がはねたので「西行も難行苦行したけれど 萩のはねくそ今がはじめて」という歌があるそうです。」
西行さんがこの辺りを歩いたと思うと、なんだか西行法師が身近に思えてきます。
そういえば、去年のお正月に歩いた青海神社から白峰寺への道も西行の道でした。
案の定、近くに「法師越」という道標が立っていました。
林道星越線というのは法師越がなまったんでしょうか?
四国のみちを、元日とは逆の方角に向かって歩きます。
つまり金剛院に向かって歩き始めました。
数年前に金剛院を初めて訪れたときに、四国のみちが気になっていましたが、私が思っていたのと少し違う方角に向かってついていたのですね。
林道を歩いていると、先ほど下ってきた稜線が見えました。
道なき道を登ったり下ったりするのはスリルはあるけど、気が抜けませんが、その後の林道歩きは退屈だけれど、安心感はあります。
しばらく下っていると、墓地が見えてきました。
向こうに見えているのは高丸山のようです。
金剛院についての説明板が立っていたので、読んでみました。
確か金剛院のお寺の横にも同じような説明板があったと思います。
↑この集落には仏縁地名が多く、↑の地図には20か所ほどもあります。
遥か昔にこの地に修験道の霊域があったと考えると、こののどかな眺めも俄かに別のイメージを持つから不思議です。
周囲を山に囲まれた土地と言うのは、一種独特の雰囲気があり、その雰囲気ゆえに修験道の場に選ばれたのでしょうか。
一方で、林道は竜王山のすぐ麓を縫うようにつけられていて、どこから登れば登り易いかと考えながら歩きます。
道ばたにはタンポポの花・・・
今年は暖かいので、あちこちで咲いているのを見かけます。
コクランまで見かけました。
途中で、四国のみちは池の方へショートカットするようについていたのですが、林道がどこまで伸びているかしりたくて、そのまま林道を辿りました。
↑ここで林道星越線が車道と出会いました。
鋭角に折れ曲がって、今度は車道を歩きます。
行く手に金剛院のお寺が見えてきました。
お寺の裏のこんもりとした山が金華山と言って経塚があった山です。
二年前にはあの金華山の横を通って小高見峰に登りました。
「金」の字の刻まれた灯篭は金毘羅さんの灯篭なのか、それとも金剛院の金なのか・・・・
道路の上からはお地蔵様がこちらを見ていました。
お地蔵様を眺めていたら、白梅が咲いているのに目が留まりました。
背景は青い空で、いつの間にか天気は回復していました。
夕日の射す金剛院集落とその後ろに猫山。
何とものどかな風景ですね。
飛鳥の風景と最初は思ったけど、明日香はもっと山が低かったですね。
林道からはあまりに山に近すぎて見えなかった竜王山の全体の姿が、車道歩きでやっと見えてきました。
道のすぐ傍らの用水路を覗き込んだら、今どき珍しいセリが生えていました。
セリって美味しいらしいですが、さすがに摘んで帰るのは気が引けてやめました。
目の前には小高見峰と先ほどの鉄塔が見えてきました。
もうすぐ車を駐車した場所に着きます。
ここから見るとなんでもない尾根ですが、見るよりも実際に登るほうがきつかったですね。
16時29分、駐車地点に到着しました。
2時間ちょいの気ままなぶらぶら歩きは丁度よい時間に終えることができました。
後で気づいたのですが、ヤブ漕ぎの代償として、ザックのポケットがかぎ裂きで破けてしまい、顔にはひっかき傷が一つできました(^_^;
けれどもまた気が向いたら、一人でぶらぶら歩きしたいですね。
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