東讃の山で夕暮れまで遊ぶ、その1、まずは火山へ
12月の第三週末も天気はまずまずのようです。
この週は高松のRさんも山歩きに参加できそうで、2週間ぶりに3人で山歩きしようということになりました。行先はRさんにお任せしてあったのですが、この週末も高い山は天気が今一つということで東讃の里山でもということになりました。最初に候補として挙がったのは与治山ですが、与治山だけでは時間も余るので、Pさんが以前行ったという隠れ家カフェでお昼を食べることにして、午前中はその近くの山でもということになりました。するとカフェからあまり遠くない場所に火山という里山があるそうで、そこにまず登りましょうということになりました。
東から順に登っていき、最後が与治山です。
車出しはPさんが引き受けてくれ、私とPさんは高速坂出インター近くの某所で8時に待ち合わせます。高速に乗った後、高松のRさんを三木の高速バス乗り場で拾うという手はずです。
↑最後に登った与治山から下ってきて、すぐ近くにあるランプロファイヤー岩脈が望める鹿裏越岬まで行ったら、綺麗な夕日に会えました。
Rさんを予定通り8時半ごろに拾った後は20分ほど走り津田寒川インターで下ります。国道11号をしばらく走りナビで西教寺を目指します。西教寺に駐車するのかと思ったら、Pさんがお寺をやり過ごしてまだ上へと走ります。池の手前に路肩が少し広くなった場所があってそこに駐車しました。こんなところよくわかったねと言ったら「以前来たことがある」そうです。道理で・・・
東讃はたまに訪れますが、海、平野、山が入り組んでいてその辺りの山からイノシシやサルが良く下りてくるようで、平野部と思われる田んぼや畑にもイノシシ除けの柵が張り巡らされています。
↑車道沿いには上の方が欠けた石の仏様。
欠け方が不自然で「あれ?」と思ってしまいました。
山側に鳥居が見えていて、上のほうに小さな祠が見えています。
ほんの少し歩いたら、またしても欠けたというかこれは明らかに何かで切られたような石の仏様。
自然にこんな風になることはまずないでしょうから、これは人為的なものですね。
「廃仏毀釈」という言葉が頭に浮かびました。
検索すると「廃仏毀釈とは、明治に起こった神仏分離をきっかけに起こった、仏教を排除しようとする運動のことです。寺院や仏像が取り壊され、仏壇などの仏具も破壊されました。」とあります。
とはいえ、実際にこんなに傷つけられた石仏を見たのはたぶん初めてだったので、えらく違和感を感じてしまいました。何も、ここまでする必要はないのに・・・
辺りののどかな景色にはそぐわないと思いました。
無残な石仏の近くに綺麗に咲いているヤブツバキを見てほっとしました。
足摺岬でも咲いていましたが、暖かな今年の冬は讃岐の里山でももう咲いているんですね。
「この実は?」とPさんに尋ねられましたが、答えられませんでした。
丁石も出てきました。
三丁とありますが、一丁ってどのぐらいの距離だったかな?と思いを巡らしますが、これも無学なものでよくわかりません。一里なら何とかわかりますが。。。
なら私の住む市も金毘羅街道が通っていて丁石がところどころに建っています。
調べると一丁は109mほどだそうです。人が60歩出歩く距離だとか・・・
またしても傷つけられた石仏・・・
このルートは石仏が狭い間隔で祀られています。
モチツツジの葉に絡んでいるのはサルトリイバラの赤い実。
驚いたことにモチツツジそのものも咲いていました。
これは結構、狂い咲しますが、それより以前に西讃では見ないツツジなのです。
登山口手前に案内板がありました。
これを見ると火山山頂のことはおれっぽちも記載がないですね(^_^;
マイナーな山なのかも?
直ぐに登山口がありました。
時刻は9時12分。
これは帰りの撮影ですが、車道から登山口へ入るところです。
行く手は気持ち良い青空が・・・
最初は竹藪の中を歩きます。
直ぐに自然林に変わり、四丁の丁石があります。
目の前に紫色の果実・・・
ヤブムラサキですね。
葉の色は抜けていて白っぽくなっています。
落ち葉に覆われた階段の道です。
今度はムラサキシキブが出てきました。
香川の低山はほとんどがヤブムラサキかと思い込んでいましたが、今年はムラサキシキブも良く見ました。
やがて六丁の丁石。
今度の石仏はまともなもので、ほっとしました。
頭上にサネカズラの赤い実も見えてきました。
望遠レンズを持参しなかったRさんはちょっと無理っぽいです。
七丁の丁石が続いてありましたが、100mも離れていたかしらん?
今度はあまり高くないところにサネカズラの綺麗な実が見えて、Rさんもここなら大丈夫ですね。
Pさんと私はレンズ交換しなくても何とか大丈夫なので、こういう時は助かります
30分も歩いたら車道に出てきました。
時刻は9時29分です。
が、車道に出る直前はひどいヤブでまさかこんなところに道が通っているとは、思えないような道です。
車道に出たところに道標が立っていました。
まずは右に進んで摩崖仏を見ることにします。
こんにちは。廃仏毀釈の残骸が今でもそのまま残っているとは驚きです。「かざん」ではなく「ひやま」なのですね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2018-12-24 19:37
多摩NTの住人様、こんばんは。
そうなんです、私もこんな形で残っている石仏を見たのは初めてでしたが
調べてみると、各地に残っているようです。
四国八十八か所のように有名なコースはさすがに市や町が整備するので、
そんなものは残ってないのですが、このコースはたぶん人が歩くことも
それほどないようで、壊された石仏をそのままにしてあるようです。
山登りをしていると、歴史がいろいろな形で見えてきて興味深いです。
なお、火山は大昔は火山(かざん)だったそうです。
投稿: keitann | 2018-12-24 22:18
keitannさん初めて投稿させていただきます。
我が家の近くにも火山があります。昔、狼煙を上げていた場所らしいです。
廃仏毀釈の遺構が哀れをかんじますね。
reikoさん、ピオーネさんとのトリオの山行いつも楽しく拝見しております。
投稿: 夏みかん | 2018-12-26 10:08
夏みかんさん、こんばんは。
いつもreikoさんの掲示板で投稿を拝見させていただいています。
中国地方にお住まいでしたよね。
火山・…珍しいかと思いましたが、意外にもほかにもあるんですね。
狼煙を上げていた山と言えば実家近くに火上山というのがあります。
石仏も無残な姿をさらしていて、胸が痛くなります。
明治の初めは京都の名刹などでも維持できないほど困窮していたそうですね。
今まで信じていたものを、廃仏毀釈と言われてはいそうですかと粗末にするのは
どうかと思うのですが・・・。
中四国の山は歴史も古く、歩くたびに何かしら学ぶことがります。
これからもよろしくお願いしますね。
投稿: keitann | 2018-12-26 22:58