はるか昔に登った尾瀬の山
今日も散策の続きをアップしようかと思っていたのですが、夕食後に主人がTVをつけてくれて田中陽希さんのグレートトラバースを見ていました。
特に新聞のTV欄はチエックしてないので、その日のTV番組は行き当たりばったりで見ていますが、主人はチエックしてるのかな??
今日は懐かしい上越国境の山々を陽希さんが歩いてましたね。
燧から尾瀬沼へと下ってきたところを上でカメラを構えていた先輩の方が撮影してくださったもの。
この時は銀山平~平ヶ岳~富士見平~燧ヶ岳~尾瀬沼と歩いています。
1973年の大学祭の休みを利用してだから3泊4日ぐらいだったかな?
大学一年の秋合宿で季節は11月初めだったと思います。
燧の山頂で1時間も遊んだと書いてます。
黄色い毛糸の帽子をかぶっているのがワタクシメ。
燧から尾瀬沼への下りで
こんな大きなキスリングを背負って歩いてました。
思えば、私たちの同好会は上越国境の山をよく歩いていました。
大学に入って初めて登ったのも、男体山と日光白根でした。
平ヶ岳は百名山の中でももっとも入りにくい山と今日の番組でも言ってましたが、ほんとにその通りです。私たちは桧枝岐から銀山湖を船で渡り登山口に着いたと記憶しています。そこに至るだけでも結構な道のりでした。
この時はあいにくのガスガスで、今日の番組で初めてこんな山だったのかと思いました。
↑当時の20万分の一ノ地図をつなげてみました。
高田と日光です。
赤線でなぞっているのが歩いたところ。
この山域を主に歩き、合宿などでは南北アルプス、北海道などに行ってましったけ。
地図を見ると、北は越後駒から南は谷川、三国山まで歩いています(もちろん一度に歩いたわけではないですが)意識して上越国境の稜線を踏破したいと歩いていました。
今日のTVで陽希さんが登っていた山はすべて登っています。
たぶん、人生で生まれて初めて見た霧氷はこの燧の霧氷ですね。
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