一応、雛祭り
今日は3月3日、雛祭り。
前にも書いたけど、私自身はお雛様や人形というのはあまり好きではなくて、思い入れもそれほどない。どっちかというと、子どもの頃から野山を駆け回るのが好きだったのは、今も変わらないかな。
仕事から帰宅した娘に「お雛様、飾る?」と訊いたら、「別に構わない」という。
↑画像は娘の生まれた年に飾ったお雛様。この辺りでは雛人形や端午の節句の飾り、鯉のぼりなどは嫁の実家が贈るという「しきたりがあって、この八段飾りも実家の母が持ってきてくれた。市松人形には私が小さい頃の産着だか何だかを着せてある。
丁度24年前の写真だけど、実はこのとき姑は入院していた。姑が3月末に退院してきたら旧暦で娘の初節句を祝うことになっていた。ところが3月初め、容態が急変、15日にはとうとう帰らぬ人となった。まだ寒さの残る朝だった。
座敷に飾ってあったお雛様は、近所の人たちが集まって、すぐに片付けられたのだった。
その後、このお雛様は3度ほどしか出してないように思う。何しろ3月というと法事があったり、お寺さんが見えたりということばかり。来年こそはと出そうと思うのだが。
keitann様 こんにちは
お話を伺うと、この写真には両方のお母様の思い出が重なるわけですね。
「しきたり」の話は三河でも似たような話を聞きます。
親の思いは娘を嫁がせても、続いていると言うことを、物を通じて確認しているのでしょうか。
これを絶対的なことと決めてしまうと形式主義の「悪弊」になり下がりますが、親の志を暖かく汲み取るならば、悪いことでもなさそうですね。
投稿: ぶちょうほう | 2006-03-04 09:41
ぶちょうほう様、こんにちは。
娘の初節句は↑に書いたような事情で、とうとう出来なかったと思います。姑が亡くなる前も付き添いをしていた私は疲れからか寒の戻りのためかインフルエンザで40度近い高熱を出してしまい、お葬式にも(田舎ですから、家でしたのです)朦朧とした状態で座っているのがやっとのことでした。
その2年前には実家の父が脳腫瘍で57歳の若さで死んだばかりでした。あの頃は子育ても大変でしたが、私の実家と嫁ぎ先の両方で、次々と大変なことが起こって、げっそりと痩せたものでしたね。
名古屋も結婚式などもすいぶん派手らしいですね。こちらもよしあしは別として冠婚葬祭は派手な土地柄です。
投稿: keitann | 2006-03-04 17:40