岡山ドライブ、その2、ウスタビガのマユ
毎年、冬の山歩きで、一度は出会うウスタビガの繭ですが、緑の色合いは濃いものから比較的淡いものまで様々です。ここで見かけた繭は色が濃くて、抹茶色とでも言うのでしょうか、そんなこっくりした色合いでした。
ヤブムラサキも実が落ちる頃ですが、1粒だけ紫色の実が残っていました。
色合いの乏しい時期だけにほんの少しの色も嬉しくなります。
四国の山では500m程度の標高では見かけませんが、秋に見かけたシコクママコナといい、中国地方では比較的低い場所でも見られるようでした。
花は春早くに開花したと思いますが、時によると花と赤い実を同時に見られることもありますね。
山を下ってきて、駐車場までくると、ムラサキシキブの実がまだたくさん残っているのに気付きました。
バックにも茅葺屋根が見えています。
まるで50年前にタイムスリップしたような感覚を覚えました。
どこかから移築した建物かと思っていましたが、そうではないようです。
野焼きの煙なども立ち上り、日本の原風景とも言うような光景でした。
説明板に八塔寺の由来が書かれてあって、歴史の古さに驚きました。
山歩きをしていると、山と信仰がいかに結びつきが強かったかということを、よく感じます。
おまけ画像になりますが、八塔寺から南に行くと閑谷学校と言うところがあります。
こちらも、とてもよい場所なので、お近くに行かれた際には、見学されると良いかと思います。
私は12月に、見てきたばかりです。
日生のカキを使ったお好み焼きで、美味しいです。
けいさん ども。
山野を歩いてて、こんなマユに出会うと決まって脳裏に浮かぶ物語があります。
「グスコーブドリの伝記」っていう短編です。
飢饉のときに両親はヤマに分け入り帰ってこなかった。
たぶん、みずから命を絶ったのでしょう。
その家には子供が二人残されていたんです。
やがて、その家には「テグス獲り」の男たちがやってきてマユの生産を始めるんです。
その、マユってのが「こんなのかなぁ・・」って思うんですよ。
投稿: あゆ | 2010-01-19 13:57
あゆさん、こんばんは。
「グスコードブリの伝記」どこかで聞いた事があるような気もしたのですが思い出せなくて
検索かけたら、宮沢賢治の書いたお話なんですね。
マユからテグスが?と思って調べてみたら、もともと中国などではテグスサンという蛾の繭から
テグスを作っていたそうです。
日本では近縁のクスサンの繭からテグスを作っていたとか・・。
因みにここいらではテグスのことをテングスと呼びます。
勿論、ナイロン製のテングスしか、私は見たことがないですけど・・。
ヤママユの仲間ですから、ウスタビガのマユも仲間には違いないですね。
ヤママユの着物と言うのがありますが、こちらは一反分がたぶん数十万とか100万とか
すると思います。
祖母の家では昔、蚕を飼っていたそうで、私の兵児帯は祖母の家で飼っていたお蚕さんから
つむいだ物だそうです。
何か、こういうのも見ると、妙に惹かれます。
でも、我が家のモチノキにシンジュサンが大量発生して木が丸坊主になったときは、とてもそんな
悠長なことは言っておれませんでした。
投稿: keitann | 2010-01-19 23:13
けいさん こんにちはぁ(^^)v
ヤママユを集めて製糸した生地をみたことがあります。
ごつごつした風合いだったですね。
それで作ったネクタイの値のよかったこと・・・とても、とても。
けいさんの云うように、こんなんでキモノなんぞを作ったらヒャクマン(*^^)v
それにしても、
宮沢賢治の童話の登場人物には外国風の名前が多いけど、日本の、それも東北にはしょっちゅうあった話なんだよねぇ。
あのひとは、自然学者でありながら偉大な哲学者だとおもう(^_^)
ぼくも物好きだから、岩手に行ったときに宮沢賢治記念館なんぞを見てきた。
「下の畑にいます」の黒板は今も残っています。
畑に行ったら、コートのポッケに手を入れた賢治が出てきそうです。
投稿: あゆ | 2010-01-20 10:28
つづき。。。
子供のときに、病気でやせ細ったカイコを貰ってきて育てたことがある。
養蚕農家にいくと、独特の「おかいこ」のにおいがあった。
農家は「かいこ」のことを「お」をつけて呼ぶ慣わしがありました。
捨てられる運命のかいこを、子供ながらに可愛そうに思って育ててやろうと思ったんだと思う。
農家のおじさんは、
「にしゃ、こだものなんしゃしんだ」・・・(きみ、こんなものをどうするんだ)です(*^_^*)
とにかく、数匹もらってきた。
毎日、桑の葉を取って来て与えた。
病気はなおり、まるまると太りました。
かいこは、触るとすべすべして感触がいいんです。
ぼくは触るのが好きで、毎日手のひらにのせて遊びました。
夜、寝ていると、枕元においた箱の中でかいこが葉を食べる音がうるさいんです。
やがて、まっしろで形のいいマヤをつくりましたよ。
このマユを蛾が食い破って出てくるまでそだてました。
いまでも、そんな遊びを子供たちはするんだろうか。
投稿: あゆ | 2010-01-20 10:46
あゆさん、こんにちは。
まだ辺りが薄明るいですよ。
日が長くなりましたね。
ヤママユの着物は天蚕と呼ばれ、非常に高価らしいですが、憧れますよね。
私はあまり女性的なことはしないくせに着物や反物を見るのは大好きなんです。
特に絹は憧れてしまいますよ。
高校の頃、ひそかに西陣織の織子さんもいいな~なんて思ったぐらいです。
あゆさんの大工に憧れるのとちょっと似てますかね。
盛岡は秋田駒や八幡平に行くときに一度行ったきりですが、時間があれば、牧場や
宮沢賢治由来の場所も見てみたかったですね。
ハムなどの畜産製品がとても美味しかったのは印象に残っています。
かいこはすべすべしてるんですか?
我が家でもシンジュサンなどの大型の蛾の幼虫を時折見かけますが、今は触れるかな~?
小学生の頃は、菜の花畑からモンシロチョウの卵や幼虫を取ってきて、育てては羽化させてましたけどね。
後はこおろぎなんかも飼いましたっけ。
今の子供達はどうなんでしょう?
うちも上の子たちはカブトムシやアゲハは飼いましたけど・・。
投稿: keitann | 2010-01-21 17:46
「おかいこさん」の話に反応です。
このきれいな緑色の繭、冬枯れの中では目立つでしょうね〜。
でも、きっと知る人ぞ知るって感じで、普通の人は見過ごすのでしょうか?
(私は普通の人だから)まだ見たことありません。冬枯れの季節に山へ行かないから?
きれいですね〜!
おかいこさん、なつかしいな〜。
親戚の家では(専業農家だから)昔養蚕をやってました。
あの猛烈な忙しさはすごかった!
父の実家(今は兄が相続してるが、、、)も昔(父が子供の頃)やってたらしい。
おかげで、その名残りの桑の木があっちこっちで大きくなってて、今恩恵にあずかってます。昔もちょっと食べたけど、。
桑の実ジャム、桑の実酒など、、。
ああ、カキオコ、おいしそう! 食べてみたいな〜。
もしかして、広島にもある? 単なるカキ入広島焼きだったかな?
お腹がすいてきました。
投稿: プルメリア | 2010-01-21 22:05
プルメリアさん、こんばんは。
ウスタビガの繭は、年に1,2度は必ず見ていますから、そう珍しいと言うわけではなさそうです。
でも、冬枯れの山をちょこちょこ歩いてないとやっぱり見られないかも、ですね。
枯れ木にぶら下がっていることが多いので、前や横を見ながら歩いていると、見つかりますよ。
このとき見たのは特に色が綺麗です。
普通はもう少し緑色が淡いと思います。
食べてた葉っぱの種類によるんでしょうかね。
プルメリアさんのご実家付近は養蚕が盛んなところなんでしょうね。
やはり、ご実家のお蚕さんの繭から糸をとって紡いだ着物なんかもおありなんではないでしょうか。
田舎で生まれ育ったものは、そんなことを思い出すと、都会育ちの方に比べると、はるかにいろいろな
経験や記憶をもらっていますね。
昔、テントの中で、停滞したときなどは子供の頃の話を皆でしたものですが、東京や大阪で育った人に
比べて、自分の身を振り返って有難いと思ったものです。
今ではお金を出しても体験出来ないようなことを体験できたのですから。
カキオコは残念ながら広島にはないそうです。
でも、日生は赤穂から近いですから、もし、その辺りにいらっしゃることがあれば、是非お味見してくださいね。
美味しいですよ~。
投稿: keitann | 2010-01-22 00:08