瀬戸内の島巡り、その8、埋め墓
塩飽諸島と呼ばれるこの辺りの島々には両墓制という風習が残っていて、亡骸を埋葬する埋め墓と霊を祀る参り墓の両方が残っているということは、2年前に高見島を訪れたときに初めて知りました。
では、参り墓はどこにあるのかというと、先ほど訪れたお寺の上のほうにあるようですが、お寺までしか行かなかったのできづきませんでした。
お墓には風雨を避けるためか、屋根やすだれがつけてあって、亡骸が不愉快な思いをしないようにという、残されたものの愛情が感じられます。
今では火葬が主流となり、埋め墓に埋葬することも少なくなったのかも知れませんが、沖合いたった5キロの島ですが、海を隔てることによって、風習もかなり違うものです。
この日は島民の方には二人しかお会いしませんでしたが、お盆ともなると、これだけの人がお墓参りに訪れるんですね。
船が港に入ってくるのは海のほうを眺めれば一目瞭然なので、港の西側にも歩いていってみました。
ほんの少しの距離を歩く間にも神社や鳥居が2,3見られました。
粟島もでしたが、ここ志々島にも、お参りする場所がたくさんあるのでした。
島し住む人の心のよりどころだったのでしょうか。
帰りの船からは、やっぱり天霧山や弥谷山がくっきりと見えていました。
私がいつも登っている山々です。
小さな島です。
夕方になって空気が澄んできたのか、西の方角に石鎚らしき山々が見えてきました。
やがて、夕日がゆっくりと庄内半島の向こう側に沈んでいきました。
自宅を出たのが11時半というのんびりさで、わずか半日の小さな旅でしたが、半日とは思えないほどいろいろと心和むものを見られて印象に残るお出かけとなりました。
冬場の瀬戸内の島歩き、まだいろいろと行って見たい所があります。
keitann様 こんにちは
こちらに伺い、両墓制という、思っても見なかったような風俗を知ったことは今回御ページ訪問の大収穫でした。
新聞記事もしっかり読ませていただきました。
この鄙びた島はかつて200戸1000人居たそうですが、過疎化がどんどん進み、今では30-40人ですか。
やがては無人化してしまいそうですね。
まことに惜しいことですが、何とか食い止める策はないものでしょうか。
日本の懐かしい風物がどんどんなくなりそうで、辛いことですね。
投稿: ぶちょうほう | 2011-02-05 14:52
ぶちょうほう様、こんばんは。
この辺りの島々に両墓制なる風習が残っていることは、二年前の高見島行きで知ってはいたのですが、すっかり忘れていて、ここ志々島で目の当たりに見て、思い出しました。
実は昨日も、遠来の友と一緒にある島を訪れていました。その島でも独特の風習が残っていて、ものすごく興味深かったです。
よそから島に移り住む人というのは少ないので、いろいろな風習や古い建物も、島では残りやすかったのだと思います。
島民がたった30人ほどというのは後で知ったのですが、確かに島に降りる人も島から船に乗る人もほとんどおらず、このままではやがて無人の島となるのでしょうね。
山歩きの関係でやはり過疎の進んだ山里に行くことも多いのですが、山里の人、島の人、どちらもほんとに親切です。懐かしい風物といっしょに、こういった他者に対する優しい気持ちというのもだんだん消えていくのでしょうか。
ちょっと考えさせられる数日間でした。
投稿: keitann | 2011-02-05 22:17