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2011-02-02

瀬戸内の島巡り、その6、映画のロケ地

志々島に着いたのは15時50分、そして、志々島を出る最終の船は16時35分です、

その間45分なので、島を一周している時間はありません。とりあえず、港からそう遠く離れないように気をつけます。

P1270261

船から下りてびっくりしたのは、ヒマワリが咲いていたことでした。

暖冬の年ならいざ知らず、今年は極端に寒くて、四国も何度もマイナス気温になっていますが、ヒマワリが咲いていたのです。種まきも遅かったのでしょうが、1月のヒマワリにはさすがに驚きました。

P1270257 ゼラニウムはたくさん咲いています。私もうんと以前はゼラニウムを育てていましたが、花は初夏に咲いていたように思うのですが・・。

P1270262 船を下りて直ぐに笛の待合所があって、いろいろな資料が掲示されています。

地図もありました。

一周しても4キロ足らずらしいですが、ちょっと時間が足りません。

船乗りさんに尋ねた話では大楠があって、見るべきものはその大楠だけということですが、私は路地が好きなので、路地に入ることにしました。

P1270268 志々島は寅さんの映画や機関車先生の映画のロケ地としても有名らしいのですが、そのことを知ったのは、私もつい2,3年前です。

この過疎の島は映画のロケにはかえって都合が良いのかもしれません。

P1270387 こちらは寅さんの映画の記念のようです。

こんな田舎に松阪慶子さんがいらしたんですね(^_^;

P1270272 船着場から直ぐの通りです。

でも、このタバコ屋さんは今はお店をしてないようです。

P1270413 山は標高100mの山しかないのですが、その中腹にお寺らしき建物が見えるので、とりあえずお寺に行ってみようと思いました。

何しろ時間がないので、港から離れた場所には行けません。

P1270280 上のほうに向かってついている路地を上がっていきます。

しかし、立派な石垣を築いているにもかかわらず、ほとんどが廃屋のようでした。

P1270286 これも初夏の花、キンレンカがこの寒さの中、結構咲いていて、また驚きました。

花が咲いているということは、ここのお宅は人が住んでいるのかも知れません。

P1270290 石垣はほんとに立派で、これだけの石垣を築くのですから、相当の財力があったのでしょうね。

P1270296 井戸があり、その横に水神様でしょうか、小さな祠が祀られています。

一年ほど前、牛窓の町並みを見たときも井戸の近くに祠がありました。

水道のなかった昔の人たちにとって、井戸は大切な存在だったのでしょう。

P1270299 お寺が50mほど向こうに見えてきたのですが、道が山の上へと続いているようです。

セイヨウカラシナもうちの辺りより本格的に咲いています。

南側の斜面なので、花が早いようですが、やはり島はかなり暖かいようです。

P1270301 お寺の手前は畑になっていて、おばあさんが畑仕事を熱心にされています。

「お寺に行くには、この道を登ればいいのでしょうか?」と尋ねると、「登っていっても行けるけど、畑の中を通り抜けて行くと近いからそうしなさい」と仰います。

綺麗にエンドウや水菜、大根などが手入れされた畑の中を通り抜けるのは、ちょっと気が引けましたが、何度も勧めて下さるので、通らせていただくことにしました。

P1270304 おばあさんが畑においてあった駕籠が素敵なので、撮影させていただきました。

この駕籠に収穫した野菜なども入れて運ぶんでしょうね。

コメント

志々島 一周良いですね。
なんと石垣が立派なのでしょうか。。
曲線に築くのは技術が要りますよね。
土壁の曲線もすごい。。と思いましたが
石垣はもっと大変のような気がします
島の名前も知らなかったのでとても新鮮です。
家家の河原が立派ですよね
四国は良い瓦の産地と大昔大工さんから
聞いたことがあります。

keitann様 こんにちは
素敵な島巡りですね。大きな楠よりも路地に入ってきて大正解だったのではないでしょうか。
こういうところには人々の生活が凝縮されているのでしょうね。
とても懐かしい風景が随所に見られ、山田監督がロケ地に選んだのも納得できます。
畑を通らせてくれたお婆さん、井戸の横の祠、畑に置いたお婆さんのバスケットなど素敵なものがたくさんありますね。

komakusaさん、こんばんは。
志々島一周したかったのですが、帰りの船の便まで40分ほどしかなくて、港の裏側までは行けませんでした。
後で友達に聞いた話では、裏側にはちょっとした食事の出来るお店があるとのことでした。

この島はかつてはずいぶん裕福な島だったようです。それがこんな風に過疎の島になってしまうんですね。
石垣を築くのはほんとに難しいだろうと思います。私の住む市のお城も石垣が日本一美しいお城といわれています。
香川には庵治や小豆島、広島など、石材で有名な場所がたくさんありますから、石材屋さんも多く、石に関する技術は進んでいたのかもしれません。
そういえば瓦屋さんも多いです。
粟島も瓦の産地として有名だったそうです。
それで、瓦屋根が目に付くんでしょうね。
いつも身近に見ている島ですが、行ってみればほのぼのとします。

ぶちょうほう様、こちらにもコメントをいただきましてありがとうございます。
壮ですね、小さな島は人々の暮らしが凝縮されているというのがぴったりです。小さくとも、お店やお寺、民家があります。
いちばん驚いたのは、なんと言っても鳥居や祠の多さです。島の方は船に乗ることが多いので、安全祈願のために良くお参りされていたのでしょうね。普通に陸地に住む人より信心深い方が多いように感じました。
生活ぶりも丁寧で、エンドウマメの支柱など、麻紐で丁寧に編んでありますね。今はネットなども売っていて、それを張ると直ぐに出来ますが、島の方は漁をされる関係で、網を編むなどお手の物でしょうね。
でも、今の人口が数十人だそうです。
早晩、住む人がいなくなってしまいそうで、残念です。

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