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2012-02-18

久しぶりの京都、その4、哲学の道から南禅寺へ

銀閣寺から石畳の道を下ると、すぐに哲学の道に出ます。

京都に来るたびに、馬鹿の一つ覚えのように、毎回、歩く道です。

P2052021

その前に、銀閣の石畳の参道を振り返ってみました。

着物を着た若い女の子が歩いていたからです。いまどき珍しい長い羽織を羽織っています。大正時代に流行った羽織でしょうから、どこかで着せてもらって、着物で京都見物をしているのかもしれません。何しろ、今は舞妓さんにさえ変身させてくれるそうですから・・・。

ただ、この若い女のコ、着物を来て外股で闊歩しているのはちょっと・・・・と思ったのですが(^_^;でも、若い女の子が着物に親しんでくれるのはとても嬉しいことです。

P2052023 先ほど買ったお煎餅を食べるためと、主人の腰痛対策もあって、疏水のほとりにあった石のベンチに腰掛けます。

お煎餅を齧っていると、どこからともなく鳩がやってきました。お煎餅を欲しそうにしているので、細かく砕いて、投げてやったら、嬉しそうに食べに来ました。

鳩に餌をやるのは、2年前のハワイ以来ですね。そのうちに、それを見たスズメまでやってきました。スズメは鳩に遠慮しているのか、(実際は力関係のようでしたが)鳩が食べているところには近寄らないので、スズメのほうにも投げてやったりと、なかなか忙しいです。

P2052026 南のほうを見てみます。

これが哲学の道ですが、寒い季節だからか、歩いている人もほとんどいません。

10年ほど前に紅葉の真っ最中に哲学の道を歩いたときはずいぶんたくさんの人で、ちょっとうんざりしてしまったものでした。

私が哲学の道を初めて歩いたのは、大学一年の時ですから、まだ18か19の時でした。当時は東京でいたのですが、高校の時の同級生の男の子で同志社に入った子がいて、京都を案内してくれたのです。どういう話の流れで、京都案内をしてくれることになったのかよく思い出せないのですが、南禅寺の水路閣を見て、その後、哲学の道を北上して銀閣まで歩いたような気がします。その頃は京都は今みたいに観光客も多くはなかったように思います。哲学の道など歩いている人はあまりいなかったですから・・。

でも、京都を案内してくれた同級生のN君も2年前に胃がんで帰らぬ人となってしまったと、人伝に聞きました。

P2052027 春や秋の季節の良い時期は、哲学の道はまるで「原宿」のように人がぞろぞろ歩く道となってしまい、ちょっと興ざめだった時もありましたが、2月の静かな道は良いですね。

ふっくらと膨らんだ紅梅の蕾も見えます。

春や秋には、道沿いの普通の民家も俄茶屋になったり、お土産物の路店が立ち並ぶのですが、今はひっそりと戸の閉まったお店も多いようです。

P2052028 すこし山のほうに上がって、法然院に立ち寄ることにしました。

法然院は拝観料の要らないお寺ですが、なかなか綺麗な佇まいのお寺です。

初めて法然院に来たのは、10年ほど前の紅葉の時期でした。

このときは結婚後初めての一人旅でした。

まだ小学生だった末っ子を主人に頼んで、泊りがけで京都の紅葉を見に来たのです。デジカメを買ってまもなくの頃で、京都の紅葉を一度撮影したみたいと思ったのです。大阪で泊まり、その夜は、学生時代の山仲間の男の子たちと飲み会、そして翌日は京都駅でタクシーに乗り、永観堂、銀閣寺、詩仙堂、曼殊院など、タクシーの運転手さんのお勧めのお寺を回ってもらったのでした。

このときの旅は、ずいぶんと印象に残っていて、丁度このころから、子育ても一段落したこともあって、山歩きや一人旅を再び楽しむようになったのです。

行っておきたいところ、やっておきたいことは、後で後悔しなくて済むよう、状況が許す範囲でやるという、私のスタンスがこのころからできてきました。

P2052030 法然院の庭を見て、「このぐらいの庭がちょうど良い」と、主人が言います。

確かに、このぐらいのお掃除の行き届き方だと、我が家の庭との差にがっくりしなくて良いですね(^_^;

P2052032 法然院の説明には「谷崎潤一郎」や「河上肇」のお墓も境内にある、と書いてありました。

P2052034 そのままずっと哲学の道ぞいに歩けば大豊神社や若王子神社もありますが、法然院を過ぎたあたりで、一つ下の通りに下りました。

こちらは普通の車道ですが、車道沿いに歩いていても、建っている建物などを見ていれば十分面白いです。

中には広大な別荘風のお屋敷もあって、その傍らを流れてくる疏水です。

この辺りのお屋敷近くには疏水が結構流れているようです。

やがて、永観堂の前を通りましたが、永観堂の見学はパスしました。

哲学の道は永観堂までで終わるようですね。

P2052037 目指していた南禅寺に着きました。

ですが、時刻はすでに5時前で見学は無理みたいです。

道なりに歩いていくと、懐かしい疏水の水路閣が見えてきました。

P2052038 まだ10代のころ、初めてこの水路閣を見たときは、お寺の境内にいきなりレンガ造りの水道橋が現われて驚いたものでしたが、今もやはり、ちょっと不思議な光景です。

P2052039 今はレンガも相当古びてきているから良いものの、できた当時は南禅寺の境内とはすこし不釣り合いだったような気もしますね。

P2052035 南禅寺の有名な山門をくぐります。

この山門の楼上には15年ほど前の旅のときに確か登りました。

このときの旅は、学生時代の山登りの同好会の先輩や後輩たちといっしょでした。と言っても女性ばかりです。

このときは一番よく歩いたと思います。

何しろ本願寺の向いの民宿から清水寺まで歩きその後南禅寺~銀閣寺と歩いたのです。帰りはさすがに半分ほどバスに乗りましたが、12,3キロは歩いたと思います。山登りしていた人ばかりですから元気なものでした。

P2052040 三門を振り返って見た画像です。

石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言ったということになってますね。

P2052041 この後、ゆるゆると南禅寺の坂を下って行きました。

下りきったところを蹴上というらしいのですが、下を見下ろすと、まるで鉄道のような線路が見えていて「インクライン」と書いてありました。線路の幅は鉄道の線路の幅よりずっと広く、今では使われてないようでした。帰宅してから調べると、インクラインとは船を台車の上に載せて、レールの上を運んだということです。

世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるものですね。

そのインクラインを見ながら車道を渡ったところに、「無鄰菴」がありました。

無鄰菴って?と思ったら、説明書きに「山形有朋」の別荘とあります。

P2052042 説明書きには「無鄰菴で山形有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎」が集まって会議をしたとありました。

前にも書きましたが、ちょうど「坂の上の雲」を読んでいる最中なので、これも何かの縁のように思われました。

ただし、無鄰菴も5時を回っていたので、見学できずでした、残念・・・。

P2052043 どこか適当なところで、バスに乗ろうということになりましたが、バス停に着くまでは裏道を歩くほうが面白そうなので、無鄰菴の裏手の道を通ると、こんな場所に瓢亭がありました。

有名な懐石料理のお店ですが、こんなところにあるんですね・・・・。

朝粥だけで4500円とありました…まともなものを食べようと思ったら、貯金でも貯めないと・・・。

P2052044 結局、京都国立近代美術館のバス停まで歩き、そこからバスに乗りました。

京都駅行よりも先に、河原町行きのバスが来たので、そちらに乗ります。

これで帰りも阪急利用となりました。

河原町に着く直前にバスの窓から見えた南座です。

P2052045 南座は大阪に住んでいた叔母に連れられてきたことがあります。これも、まだ若い頃の話で二十歳過ぎの頃です。

南座の顔見世と言えば当時でもなかなかチケットが取れなかったそうですが、知り合いの多い叔母はチケットを取って、時々行ってたようです。

「桟敷席の高いチケット取ったのに、寝てるのはあんたぐらいやで」と叱られました(^_^;

悠長なせりふを聞くと、若くて何もわからない私は(当時は歌舞伎にもぜんぜん興味ありませんでした)うとうとしてしまったのです。

その叔母も7,8年前に70歳で亡くなりました。

夕方の河原町は、歩いている人がずいぶん多くて、どこからこんなに人が湧いて出てきたかと不思議なほどでした。

フェリーの時間までまだ余裕があったので、高島屋の地下でフェリーの中で食べるためのお弁当を買ってから、阪急電車に乗り込みました。

考えたら、結婚してから33年も経つのに、主人と京都に来たのは初めてというのも、面白い話です。主人は義父、義母、そして祖母が亡くなる度に西本願寺に納骨に来ているはずですが、子供たちが小さかったため、私は家で留守番をし、私自身の父と祖母の納骨では、私は母とともに東本願寺に納骨に来ているのでした。

それにしても、京都には一人旅でも来ていますが、それ以外にもいろいろな人と来ているものだと我ながら感心しました。特に、今は亡きN君と叔母の冥福を祈らずにはいられませんでした。

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