今季初の島歩きは本島、その5、遠見山そして街並み見学
車道を少しだけ南に歩くと遠見山の登山口があるはずです。
島の車道は車なんてほとんど通らないので、のんびりと歩いていくと・・・
↑道路法面にシュンランの株が見えたので、覗き込んで見ると、花芽がかなり上がっていました。
やっぱり、島は暖かいので、花芽が上がるのも早いですね。
ものの5分も歩かないうちに遠見山の登山口に着きました。
遠見山には3年ほど前に来ているので、ここからは勝手知った道です。
緩やかな階段を登っていきます。
遠見山は山と言うより、丘と言う感じですね。
ヤクシソウがまだ咲いていました。
これも前に来たときにお参りした祠・・・。
島の方は信心深いので、いたるところに小さな祠があります。
これも前に来たときに眺めた「てんぐの足あと」の説明板。
前に来たときはどこに足あとがあるのかさっぱりわからなかったのですが、今回は大きな岩の正面まで回り込んでみたら・・・・・
↑ありましたよ。きっとこれですね。
大岩のてっぺんに登って見たら、良く見えます。
↑は最初に登った八ヶ峰の稜線です。
麓に見えている大屋根は天理教の建物で、瀬戸大橋を電車や車で渡っていると、この建物が良く目につきます。
八ヶ峰の手前には今登ってきたばかりの高無坊山が見えています。
RさんとPさんも、私と入れ替わりに大岩に登ってきました。
金峰山の五条岩ほどではないけど、高いところはやっぱり気持ちがいいですね。
「〇〇の高上り」と言う通りで、あまり記憶は残ってなかったのに、奥秩父を縦走した時の写真には五条岩の上に上がっている写真が、〇〇を証明するように残っています(^_^;
昔から、結構、高いところ大好き人間かも・・・。
てんぐの足あとを見学したら、いよいよ、本日最後の山頂、遠見山へ・・・。
↑遠見山山頂の東屋が見えてきました。
時刻は11時42分。
お昼時なので、真正面に瀬戸大橋を眺めながら、お昼ごはんにしました。
お向いは橋脚の島となった与島です。
お昼を食べ終えて、12時4分、いよいよ平地に下っていきます。
と言っても、わずか100mほどの下りですが・・・。
下りで見かけたコウヤボウキのピンクの綿毛です。
不思議コウヤボウキの綿毛は白いのとピンクがあって、ピンクのほうが断然綺麗です。
すさまじい数のピンクコウヤボウキでした。
12時16分、遠見山の東に位置する尾上神社まで下ってきました。
この神社界隈が、本島の昔の町並みが残されている笠島集落です。
20年以上前に、子供たちを連れて本島に来たときには、笠島の町並みはまだ整備されてなかったと思います。その後、綺麗に整備されて、今では勤番所と並んで本島の見どころとなっています。
私が以前訪れたときには、真木邸だけが公開されていたと思うのですが、去年7月から公開されるようになった吉田邸を見学することにしました。
因みに以前来たときの笠島の記事はこちらです。
吉田邸は築100年だそうで、欄間は刀の鍔が埋め込まれているという珍しいものでした。
トイレは染付の便器が使われていて、美しいですね。
骨董屋さんでたまに見かけたことはありましたが。最近は古い建物でも、水洗トイレになったのでこういうのはなかなか見られません。
吉田邸を失礼した後も、ぐるりと回って歩いていくと・・・・
向こう側には、もう海が見えています。
これが島歩きの楽しいところ・・・・。
手前の小さい祠は水神さん?
他の島でも良く見かけます。
笠島の町並みを見せて頂いたら、あとは港に向かって歩きます。
↑島の家らしく、庭にはサザエの貝殻が並べられて・・・
大きなタンカーがゆったりと瀬戸大橋の前を航行していきます。
ゆったりとした眺めに、心も自然とゆったりとしてきますね。
なおも道を歩いていると大きなタコが干してありました。
途中で見つけた「茶房」と書かれたお店に入ってコーヒーを飲みましたが、なぜか名前には似合わず居酒屋風なお店です(^_^;
まぁ、それも島らしくて面白かったです。
最後の見学は塩飽勤番所です。
私はもう4度目ぐらいになりますが、丸亀の人以外は滅多に訪れることはないと思います。
塩飽諸島は年寄りと呼ばれる人たちが自治を行っていた島で、この勤番所が今の役場みたいなものですね。
信長、秀吉、家康らの朱印状が保管されていたという石造りの保管庫です。
これでは重くて、誰も持ち出せなかったでしょう。
その他、咸臨丸の水夫が持ち帰った食器なども展示されていて、歴史好きな人には興味深い場所です。
船の出航まであまり時間がなくて、ゆっくり見ることが出来なかったのですが、係の方が美味しいお茶を入れてくださって、いかにも島らしいお接待でした。
港に着いたら、すでに高速艇が待っていました。
山を3座登って、見どころも見学するので、帰りは17時過ぎの便になるかと思いましたが、何とか午後2時15分の船に乗ることができました。
驚いたのは、この高速艇の操縦をされていたのが、吉田邸の案内をしてくださった現当主の方だったことです。
そういえば、吉田家の方は代々フェリー会社に従事されていたと仰ってましたっけ。
私一人だと、いつも10時過ぎの船でのんびりと来ていたので、どれだけも回れませんでしたが、さすがに皆さんと一緒に早出すると、あちこち効率よく回れるものですね。
冬場の低山歩きはいろいろな楽しみが多くて、その中でも島歩きは一種独特の雰囲気があってよいものだと、あらためて感じました。
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